『与謝野晶子、0円(文芸・小説)』の電子書籍一覧
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[初出]「冬柏」新詩社、1935(昭和10)年6月号、7月号、9月号、10月号、12月号、1936(昭和11)年2月号[文字遣い種別]新字旧仮名
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[作品について]この作品は、与謝野寛・与謝野晶子による「巴里より」の一部です。「巴里より」は、別途、公開予定です。[文字遣い種別]旧字旧仮名
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[作品について]1914(大正3)年10月に発表された読売新聞への連載小説(全10回)。「遺書」という、読者に深刻な内容を推測させる、衝撃的な題名がつけられている。内容は、夫寛への怒りや不満を述べた部分と幽霊となって子供達を訪ねる部分とからなるが、「遺書」の形を借りて身辺や家庭内の出来事を描いた「雑記帳」(エッセイ)風の作品。ヨーロッパからの帰国後の生活の中での晶子と寛の心の葛藤、それに子供達の教育の悩みなどが織り込まれていて(どこまでがフィクションかは判然としない)、当時、彼らがどのような問題を解決しようとしていたか、あるいはどのような気分で暮らしていたかを知ることができる。(武田秀男)[文字遣い種別]新字旧仮名
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[作品について]『晶子詩篇全集拾遺』は、歌人与謝野晶子の自選詩集『晶子詩篇全集』の未収録作品(講談社版全集第9・10巻に収録)で、文語・口語詩239篇が収録されている。 これらは1899(明治32)年に「よしあし草」に発表された作品から、1942(昭和17)年に「冬柏」に発表された作品に及ぶが、『晶子詩篇全集』に比べ、明治期と昭和期に注目すべき作品が含まれている。(とくに、1910(明治43)年発表の「ないしよごと」「お俊傳兵衞」、1932(昭和7)年の「紅顔の死」、1939(昭和14)年の「鈴蘭の変死」等。) 作品は無題のものが多いが、読者は、読み進めてゆくと、その中からキラリと光るものを発見することができるであろう。(武田秀男) 各詩篇の出典一覧は、こちら。[文字遣い種別]新字旧仮名
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[作品について]「晶子詩篇全集」は、明治・大正・昭和の歌人与謝野晶子の自選詩集で、「君死にたまふことなかれ」や「山の動く日」ほか代表的な文語・口語詩421篇が収録されている。 これらは1904(明治37)年から1928(昭和3)年までに、「明星」「青踏」「女学世界」「婦人之友」「婦人公論」「三田文学」「芸術自由教育」「読売新聞」「横浜貿易新報」等の誌紙に発表されたもので、その多くが「恋衣」「夏より秋へ」「さくら草」「舞ごろも」「瑠璃光」といった歌集、「一隅より」「我等何を求むるか」「愛、理性及び勇気」「若き友へ」等の評論感想集および紀行文集「巴里より」に収録されている。 本文は、雲片片(56篇)、小鳥の巣(59篇)、夢と現実(40篇)、壺の花(15篇)、薔薇の陰影(25篇)、月を釣る(35篇)、第一の陣痛(41篇)、幻想と風景(87篇)、西土往来(29篇)、冷たい夕飯(34篇)の十章に分かれる。このうち、欧州旅行中の詩篇である「西土往来」はやや異色であるが、その他は切り口や表現方法は異なっても、花、昆虫、天候、自然、人物、社会等の事物と自己の生活や感情を歌っている。ある作品は生きいきとして共感や親しみが持て、ある作品は押韻がリズミックで読んで(作曲されているものは歌って)楽しく、またある作品は人生を凝視して滋味あふれるといった、いずれも珠玉のような詩のアンソロジーとなっている。 晶子の短歌の読者であれば、これらの詩の背景に思い当たる歌が仄見えるであろうが、詩は短歌と異なって難解さが少なくストレートに迫るところから、誰でもが晶子の感動に直接触れることができる。これは得がたい読書の体験を与えてくれるものではないだろうか。(武田秀男) 各詩篇の出典一覧は、こちら。[文字遣い種別]新字旧仮名
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