『木暮理太郎(文芸・小説、実用)』の電子書籍一覧
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信仰登山の時代から山々を跋渉した日本登山界の先蹤者。
奥秩父の開拓、剱・黒部や上越の記録的登山の足跡。日本アルプスの未踏の領域が次々と踏破された探検登山の黄金期に活躍した木暮理太郎は、奥秩父の開拓、槍ヶ岳―剱岳縦走、剱岳北方稜線初踏破、笛吹川東沢遡行などの先駆的登山で知られる。
著作『山の憶ひ出』は、登山紀行のほか、古文書や古地図、山名の歴史考証、山岳展望など他に類をみない発想と探究心に基づく。
本書は講中登山に始まり、未知を探求し続けたその足跡をたどるべく、登山紀行と回想記を中心に登山年月順に収め、『山の憶ひ出』に収められなかった紀行と随筆を年代に沿って加えた。
■内容
奥秩父の山旅日記
釜沢行
笛吹川の上流
利根川水源地の山々
皇海山紀行
八ケ峰の断裂
黒部川奥の山旅
黒部川を遡る
ほか
■著者について
木暮 理太郎(こぐれ・りたろう)
1873(明治6)年、群馬県生まれ。
第二高等学校(仙台)から東京帝国大学文科大学哲学科、のちに史学科に進み中退。
1893年ごろから本格的に登山を始め、明治末から大正初期には奥秩父を開拓し広く紹介。
1915年と1917年、笛吹川東沢遡行。1913年、槍ヶ岳から五色ヶ原まで案内人なしで縦走し、剱岳登頂。
1915年、毛勝山から剱岳に登頂し、東沢谷から赤牛岳、烏帽子岳へ縦走。
1917年、朝日岳から針ノ木峠の縦走など記録的登山を行なう。
日本山岳会第三代会長。
「東京から見える山」、「中央亜細亜の山と人」などの山岳研究にも力を注いだ。
1944年歿。 -
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[初出]木曽駒「登山とはいきんぐ」1935(昭和10)年11月、甲斐駒「山と渓谷」1937(昭和12)年1月[文字遣い種別]新字新仮名
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[初出]片貝谷まで、南又を遡る、釜谷の奥、小黒部谷の入り・上(毛勝山及び猫又山)「山岳」1915(大正4)年12月 小黒部谷の入り・中(赤谷山及び赤兀白兀)、小黒部谷の入り・下(大窓及び池の平)、劒岳「山岳」1916(大正5)年12月 立山を越ゆ、黒部川の峡谷、附記「山の憶ひ出 上巻」龍星閣、1938(昭和13)年12月[文字遣い種別]新字新仮名
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