『まんがびと、信長と濃姫 外伝(まんがびと)、半年以内(文芸・小説)』の電子書籍一覧
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【書籍説明】
織田信忠の父信長は天性の革命家だった。天正三年(1575)五月、信長は長篠の合戦で強豪武田軍を破り、天下一統を五割方成し遂げた。
信長は織田家の家督を嫡男信忠に譲り、自分は琵琶湖南岸に京の都に匹敵する「平安楽土」、安土城を築いて本拠地とした。
父信長は信忠に美濃・尾張二ヶ国と岐阜城を与え、「おまえの思う通り存分にせよ」と言う。
織田軍総大将となった信忠は、父に無断で武田勝頼の人質となっている異母弟御坊丸の救出を企てた。
武田勝頼の父信玄は天下の名将と定評がある有力大大名だった。信玄は天下一統のため上洛の軍を起こしたが、天正元年(1573)四月、上洛途上で病没した。
嫡男勝頼は父信玄の跡目を継いだが、武田家重臣達は初めから勝頼を信頼しなかった。勝頼は信玄の後嗣に相応しいことを証明するため、領土拡大に熱中した。
しかし、長篠の合戦で織田軍に大敗すると、織田信長と徳川家康の反撃に遭い、領土を奪還された。
勝頼は怒りにまかせて人質の御坊丸や信忠の婚約者だった異母妹松姫を虐待した。
信忠は御坊丸と松姫を救い出し、美濃に連れて戻った。
信長・信忠父子は武田勝頼と決着つけて、天下一統を成し遂げようとするが……。 -
【書籍説明】
天下一統を志す織田信長の嫡男勘九郎信忠は幼い時から利発な子供だった。
信長の正室美濃御前(濃姫)の養子となり、天下人の後嗣となるべく教育された。
ただ、信長は生来の自由人・革命家だったので、信忠をあまり束縛しなかった。
稀代の英雄武田信玄も上洛して天下一統を志したが、跡継に恵まれなかった。
嫡男は父信玄に反旗を翻して自刃し、次男は盲目、三男は夭逝したため、四男四郎勝頼を後嗣にするしかなかった。
信玄は上洛途上、勝利を収めながらも病死した。
信玄は自分の死を秘すように遺言した。
勝頼の肩には「名将信玄の跡継」の責任が重くのしかかった。
勝頼は父以上に好戦的になり、領土拡大に熱を入れた。
織田信忠は父信長とともに各地に出陣し、戦場経験を積んで行った。
長篠の戦いで、織田軍が大勝利を収め、武田軍は大敗した。
信忠は父信長から家督を譲り受け、勝頼は武田軍の威信回復に猛進した。
信忠は勝頼の人質となっている異母弟とかつての婚約者松姫の救出に甲斐に忍び入った。
優秀過ぎる父を持つ二人の御曹司の生き方は? -
【書籍説明】
織田信長は生まれながらの天才的革命家だった。
独特の発想と美意識を持ち、徹底した合理主義者だった。
それ故に、実の父母にも家臣達にも理解されず、絶望的な孤独に苛まれていた。
母土田御前は弟の信行を偏愛し、信長を廃嫡して信行に跡目を相続させたいと願った。
父織田信秀が病死すると、信長は織田弾正忠家を継ぎ、駿河の太守今川義元の尾張侵攻を防ぎつつ、尾張国内で勢力拡大に努めた。
信長の最大の理解者は、美濃国主斎藤道三とその娘帰蝶(濃姫)だった。
帰蝶は道三の智謀の才を受け継ぎ、信長の正室になると軍師を務めた。
信長は道三や濃姫の助けを得て、主筋である守護代織田大和守家を滅ぼし、尾張国都清州城を獲得した。
さらに織田伊勢守家も下し、尾張国内を統一・平定しようとした。
だが、斎藤道三は嫡男斎藤義龍に謀反を起こされ、討死した。
信長が最大の味方道三を失うと、同母弟信行は庶兄織田信広と手を組み、美濃の斎藤義龍と示し合わせて謀反の兵を挙げた。
信行には宿老林秀貞・通具兄弟や柴田勝家が味方した。
謀反軍は二千近く、信長軍は一千未満。
信長と濃姫は知恵を尽くして謀反軍と戦うが……。
【目次】
悪餓鬼大将
尾張の猛虎
虎の息子と蝮の娘
抹香くわっ
織田弾正忠
清州城奪取
人身御供
身代わり
山の神
蝮の死
四面楚歌
謀反勃発
女軍師
謀殺
尾張統一
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