『青空文庫、福沢諭吉(文芸・小説)』の電子書籍一覧
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[作品について]底本には、以下の諸篇がおさめられています。 「01 〔慶應義塾の社中にては〕」(新字新仮名) 石河幹明 「02 福翁自伝」(新字新仮名) 福沢諭吉 なお、「02 福翁自伝」には底本どおり「01 〔慶應義塾の社中にては〕」を納めています。 ※公開に至っていない場合は、リンクが機能しません。 「福翁自傳」[初出]「時事新報」時事新報社、1898(明治31)年7月1日号~1899(明治32)年2月16日号[文字遣い種別]新字新仮名
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[作品について]この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)[初出]「時事新報」1886(明治19)年2月18日[文字遣い種別]新字新仮名
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[作品について]底本はこの作品の冒頭に、手塚源太郎による以下の前書きを、添えています。 本年一月十三日より同二十四日までの『時事新報』に掲載したる「日本男子論」は、すこぶる江湖《こうこ》の注意を引き起こしたることと見え、既にある地方にては有志有力の貴婦人|士君子《しくんし》結合して、広くその地方の男女に該論《がいろん》の旨を実施せしめんとて尽力最中の処もありという。ついては過般以来、諸方より特に右の新聞紙を得んとて続々注文あれども、新聞紙は一日限りの用にて残りもあらざれば、今回その社説だけを集め、一冊子に製して以て需《もと》めに応ずるものなり。 明治二十一年二月 [#地から3字上げ]手塚源太郎 記《しるす》[初出]「時事新報」1888(明治21)年1月13日~24日[文字遣い種別]新字新仮名
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[作品について]「時事新報」の社説。前日(3月22日)に掲載された、「物理学の要用」より続く。[初出]「時事新報」1882(明治15)年3月23日[文字遣い種別]新字新仮名
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[作品について]明治維新における勝海舟と榎本武揚の所業を批判的に取り上げた「瘠我慢の説」は、1891(明治24)年11月27日に書き上げられたまま、長く公表されなかった。それが石河幹明のすすめによって、時事新報に掲載されたのが、1901(明治34)年1月1日。同年5月、「丁丑公論」とまとめて刊行された際には、石河幹明による序、1892(明治25)年2月に勝と榎本に宛てて福沢が送った書簡とその返答、石河による「瘠我慢の説に対する評論について」、木村芥舟による「福沢先生を憶う」が合わせて収録された。(雷太) 「序」(新字新仮名) 石河幹明 「瘠我慢の説」(新字新仮名) 福沢諭吉 「書簡」(新字新仮名) 福沢諭吉・勝海舟・榎本武揚 「瘠我慢の説に対する評論について」(新字新仮名) 石河幹明 「福沢先生を憶う」(新字新仮名) 木村芥舟 「瘠我慢の説」[初出]「明治十年丁丑公論・瘠我慢の説」時事新報社、1901(明治34)年5月2日[文字遣い種別]新字新仮名
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[作品について]明治維新における勝海舟と榎本武揚の所業を批判的に取り上げた「瘠我慢の説」は、1891(明治24)年11月27日に書き上げられたまま、長く公表されなかった。それが石河幹明のすすめによって、時事新報に掲載されたのが、1901(明治34)年1月1日。同年5月、「丁丑公論」とまとめて刊行された際には、石河幹明による序、1892(明治25)年2月に勝と榎本に宛てて福沢が送った書簡とその返答、石河による「瘠我慢の説に対する評論について」、木村芥舟による「福沢先生を憶う」が合わせて収録された。(雷太) 「序」(新字新仮名) 石河幹明 「瘠我慢の説」(新字新仮名) 福沢諭吉 「書簡」(新字新仮名) 福沢諭吉・勝海舟・榎本武揚 「瘠我慢の説に対する評論について」(新字新仮名) 石河幹明 「福沢先生を憶う」(新字新仮名) 木村芥舟 「瘠我慢の説」[初出]「時事新報」1901(明治34)年1月1日[文字遣い種別]新字新仮名
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