『谷川俊太郎~これまでの詩・これからの詩~(岩波書店)、801円~1000円』の電子書籍一覧
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「男の子に続いて女の子も生まれて、家族と過ごす日常のうちに生きる、個としての自分を、知らず知らずのうちに意識するようになっています。詩集のカバーに母の若い頃の写真と、自分で撮った妻子の写真を使わせてもらいました。」
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「このなかには、少年の視点で書いた詩が十いくつか入っていますが、このごろはどうも子どもとか少年になって書いたほうが書きやすいんですよね。子どもの詩のほうが、大人のなんか意味過剰だったり、全部こう分析しようみたいな、そういう詩の言葉から離れて自由になる気がするんです。なんか子どものことばのほうが、もっとこう、全体がつかめるんです。」詩歌文学館賞
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「この本が出来たのは連詩の経験があったから。連詩はひと部屋に集まってみんなで酒飲みながらやるんだけれど、対詩の場合には、手紙のやりとりでしようということになったんです。それと、連詩の経験からいうと、詩だけを並べてもわかりにくいんですよね。どこでどうつながっているのか、みたいなことが。だから対詩の場合には、詞書きみたいなものをつけました。二人の詩人が詩を往復してつくる対詩という形、このごろはみんなメールでやってますね。」
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「この詩集では、いろんなことを「定義」しようとしてみましたが、結果的には、言語というものでモノやモノゴトを完全に定義することは不可能なんだと思いました。収録した「私の家への道順の推敲」では、南阿佐ヶ谷から成田東の自分の家へ行く道を定義したんだけど、この詩をたよりに家に来ようとした人は、みんな道に迷っちゃった。」
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「時間の流れ方がどんどん速くなっていくような気がする。年をとったせいばかりではないと思う。時代そのものが加速していて、知らず知らずのうちにそれに乗っている。だが私は時代に流されているとは思っていない。時代を超えた時空に属している宇宙が、自分のからだとこころのうちにあると信じるようになったからだ。」毎日芸術賞受賞
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「1962年のはじめから、週刊朝日〈焦点〉欄に、私は毎号ひとつのスペースを与えられました。編集部の注文は、時事的な主題をもった詩を書けということでしたので、私は与えられたスペースを塀に見立て、私なりの落首を書きつづけた。……これらは諷刺詩ととってもらってもいいし、エピグラム集ととってもらってもかまいません。」
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「これは新聞、雑誌のもとめに応じて書いた作品からえらんで編んだものですが、いわゆる現代詩が現代音楽とすれば、この本に収めた作品はポップスにたとえてもいいようなものも多く、どんなふうに読んでもらえるのか、刊行当時はあまり自信がありませんでした。」
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「ぼくは、薬をもらうほどの鬱は経験していないけど、鬱的な気分っていうのは、相当経験はしているんです。ぼくのなかに若いころからある鬱的な気質が、たぶんこういうものを書かせたんだとは思います。だけど鬱っていうのはね、実生活の鬱というのと同時に、表現というものに対する、なんか鬱的な気分ってのがあるんですよ。詩を書いていくことに対するね。」
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「旅を材料に書いたもの、短い芝居みたいなもの、幻想的なもの、メロドラマ風など、この詩集に収録したのは発想もスタイルも一定していない。共通なのは行数がふだん書いている詩よりも多いということと、筋立てのようなものがあるということくらいか。」鮎川信夫賞受賞
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「音楽は昔から私にとってなくてはならぬものだった。今も私は時に音楽に縋らずには生きていけないと思うことがある。……ここに収めた作のほとんどは、前集『世間知ラズ』と平行して書いていたものである。音楽に憧れながら詩を書いてきた私には、詩に対する疑問と音楽に対する疑問が、そのまま自分という人間に対する疑問に結びついている。その点で本集と前集は兄弟分みたいなものだろうと思う。」
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「「空」「地」「ひと」「人々」という章を立てて、愛の対象を自然からだんだんと複雑な人間生活の営みに向けて四つに分類してみました。日常のむずかしい人間関係を腑に落ちさせようと、そうした筋道を立てて考えようとしていたようです。」
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「集英社が出してくれた単行本のカバーに用いたパッチ・ワークは、1865年ころ、合衆国マサチューセッツの無名の作者の手になるもの。……本集もまた、日々の暮らしのときどきに、作者の経験したさまざまな感動の色あい、さまざまな夢幻の肌ざわりのあれこれを、パッチ・ワークにならって綴り合わせたものと言えようか。」
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「詩を書き始めてから、いつのまにか数十年たってしまいました。若いころは気楽に考えていた詩というものが、近ごろますます難しく思えてきました。詩を信じるためには、詩を疑うこともまた必要なのではないかと考えています。」
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「私たちは人や土地や時の縁にむすばれて、日々を暮らしている。詩もまたそれらと離れては存在し得ないところがあって、それは詩をしばるどころかかえって自由にする。正直になりたい、裸になりたいと思いながら書いていても、詩をしばるものは結局自分でしかない。」読売文学賞受賞
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「若い頃から詩を疑いながら詩を書いてきましたが、この頃から詩が現実の生活、現実の人間関係を侵しかねない存在だと感じるようになってきて、それがしばしば詩の主題ともいうべきものになっています。」第1回萩原朔太郎賞受賞
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「海鳴りのような魂のざわめきの中に一人のあなたがいます。そして私もいます。詩の言葉は私の中から生まれるのではなく、私を通って生れてくるのです。それは私の言葉ではありますが、私だけの言葉ではなく、あなたの言葉でもあるのです。私にとって、インスピレーションを待つとは、見知らぬあなたの、言葉にならぬ魂のきしみに耳をすまそうとすることだと言えるかもしれません。」
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「作者自身には意外と自作が見えていないものだ。自選自輯ばかりが良いとは限らない。たとえば同時期に書いた連作をばらばらにしてしまうなどという芸当は、自分ではなかなかできない。……計らずも三篇の悼詩が本集に含まれることになった。詩が死に親しむことで生へ向かうものであることを、少しずつ私は信じ始めている。」
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「父母の死、恋愛、離婚、自身の老い、日常生活の上での体験が否応なしに私を変えてゆき、詩もそれと無縁ではあり得ないことをあらためて感じる。かつてヴァレリーは詩と散文の違いを舞踊と歩行という比喩で説明したが、踊るにも歩くにも人は手を使い、足を用いる。そして手足を動かすのは人の心である。詩と散文の源にある心身と、心身がからみあう人間関係のほうにようやく私も目が向くようになった。」
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「ぼくはこの本に収録した「おばあちゃんとひろこ」に出てくるおばあちゃんが「おっけー」って言うところが気に入っているんですけどね、朗読しててここで笑い声が起こるとうれしい。」
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「一本の大根の姿は単純だが、大根という生ある物質の構造は限りなく複雑だ。それを私たちは分析しきれないが、味わうことはできる。語を分子として、食するに足る有機物をどこまでつくれるか。詩とは現実の味わいであると観じて、当店は当店のメニュをおとどけする。
英訳出版の折、本家コカコーラ・カンパニーとタイ・アップしたかったのですが、話は通りませんでした。」 -
「ここ数年、気楽に詩が書けるようになっています。気が向くと発表のあてもないのにマックに向かっているのです。〈未発表〉とあるのはそうしてできた作で、締め切りがないから飽きるまで推敲を重ねられるのが楽しかった!」
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「結婚式に招かれても、祝辞の代わりにお祝いの詩を読むことが多い。何か意見を求められても、詩の形で書くほうが言いたいことが言えると思う。どうも私は生まれつき詩人なのではないか、これは自惚れではなく自戒である。詩というものの、不人情につながりかねない「非人情」(『草枕』における漱石の言葉)に、私は苦しめられてもいるからだ。」
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「いわゆる児童詩と言われるものが、結構日本の詩の世界にはジャンルとして大きいんですけれど、読んでいるとやっぱりなんか大人の視線で、下に子どもを見てる。で、なんか教え諭すみたいなものが多いんですよね。そういうのにぼくは疑問があって、子どもと同じ目線で書きたいし、こっちが教え諭すんじゃなくて、何かを気づかせるっていうのかな、あるものを提示するみたいな書き方をしたいってことは、あるときからわりと意識してました。」
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「こういう行数の多いひらがな詩をはじめるきっかけをつくってくれたのは、児童文学作家で当時編集の仕事もしていた今江祥智さんです。彼が編集していた雑誌に、たっぷりページを空けとくから、みたいなことを言われて書いた。……まずとにかく、声に出すということを意識して書いた詩をまとめようっていう一種の決意がありました。」
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「『詩の本』といういささか素っ気ない題名を深読みする人もいるかもしれません。〈本〉には、もとになるもの、手本、根本、本当などの意味があるからですが、私としては単純に書物の意味でつけました。人間活動のさまざまな分野にわたる書物が、書店の店頭にもネット上にも溢れていますが、その中でこれはマンガでも小説でも株の買い方でもファションでもグルメでもない、詩と呼ばれるなんの役にも立たない言葉が印刷されている本ですよ、それでも買ってくれるんですかと念を押したい気持ちなのです。」
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「冒頭の「日本語のカタログ」は、エッセイからの引用とか広告文とか取扱説明書の一部などを寄せ集めたものだけど、ぼくは、詩であるかどうかとか全然気にしなくなったんですよ、ある段階から。日本語としておもしろけりゃいいじゃないのって感じですね。ぼくはとにかく生きている言語の現場ってものが好きだし、興味があるんですよ。でも、現代詩はそういうものを無視し続けてきてるわけですよ、書きことば一本やりで。」
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「月に1篇ずつ新聞に連載したもの。半世紀前の『落首九十九』と違って「心」という頁に掲載されることになっていたので、心をめぐって自由に書きましたが、「シヴァ」のみ2011年4月に発表を見合わせ、2013年3月11日に掲載されました。」
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