『歴史、戦記、中公文庫、0~10冊(実用、文芸・小説)』の電子書籍一覧
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皇国の興廃、此の一戦にあり。バルチック艦隊を撃滅した大海戦に水雷艇艇長として従軍した水野は、後に東郷ターンといわれた敵前大回頭、艦内水兵の会話、秋山真之が敵艦に乗り込み降伏を迫る場面など戦闘の実像を臨場感をもって描く。両艦隊比較表、戦闘航跡図、艦艇図版を掲載。櫻井忠温『肉弾』に並ぶ日露戦ルポルージュの白眉。
海軍中将加藤友三郎閣下序文
海軍中将伊知地彦次郎閣下序文
海軍大佐小笠原長生閣下序文
自 序
水野広徳筆蹟
一 万里の遠征(その一)
二 万里の遠征(その二)
三 万里の遠征(その三)
四 待つあるをたのめ
五 竜爪虎牙
六 戦雲いよいよ急
七 竜虎相対す
八 竜争虎闘
九 勝敗既に決す
十 スラブ魂
十一 日本魂(その一)
十二 日本魂(その二)
十三 風浪の敵
十四 快隼疲鷲を突く
十五 いくさ話し
十六 死栄生辱
十七 韓盧蹇兎を搏つ
十八 戦果戦績
十九 勝因いかん
二十 戦後の覚悟
附 録
日本海々戦日本公報(東郷聯合艦隊司令長官報告)
日本海々戦露国公報
露帝とロ提督との電報往復並にネボカトフ少将の電奏
日本海海戦感状
著者のことば
解説
文字通り「此一戦」伊藤正徳
水野広徳年譜 -
仏印進駐をめぐる混乱は、前段階の陸軍のドイツ迎合やそれに同調する海軍部員の横紙破りへの対立として顕在化していた。本書中盤以降では、フランスとの平和的進駐の合意を現地陸軍が無視して無理矢理に戦闘行為に入ろうとするのを、海軍が陸軍上陸部隊船団から護衛艦を撤退させるという非常手段まで執って阻止する顛末が描かれる。その後も確執は激化し、ついに遣支艦隊に「協力不可能、離脱セヨ」との命令が下されるが……。
一参謀の視点に徹して仏印進駐の〝失敗の本質〟が浮かび上がる迫真の記録。
半藤一利による著者インタビューを付す。
〈目次より〉
序 阿川弘之
第一章 北部仏印への野望
第二遣支艦隊参謀に
佐藤参謀副長と大激論
三国同盟論再燃
第二章 昆明作戦を口実に
掃海艇派遣の下命
海軍中央の情況・態度
陸軍統帥部による倒閣
仏印相手の猿芝居
支那方面艦隊司令部に出頭
「C事件」で上京
第三章 封ぜられた「策謀」
ハノイで佐藤と会談
「武力不行使」の中央電報
封鎖作戦だけでも手一杯
第四章 「謀略」の再台頭
富永少将のハノイ入り
東条陸相の黒い影
進駐の大命下る
神部員の越権、僭越
連合艦隊から増派
第五章 「交渉成立セリ」にも拘らず
国境線でついに戦火
あくまで平和進駐で
陸軍現地の陰謀を中央に警報
西村兵団上陸延期
暗転する事態
第六章 「協力不可能、離脱セヨ」
期せずして全海軍が一致
二人がかりの弁慶役
「大命」を無視した波集団
「信ヲ中外ニ失フ」
第七章 事件の反省不徹底に終わる
三国同盟にショック
陸海中央合同研究会
妥協した海軍統帥部
あとがき
インタビュー:日本海軍和平への道程 〈聞き手〉半藤一利
〈解説〉大木毅 -
中公文庫『新編・石光真清の手記』全四巻を合本したものです。既刊電子版と内容に変更はありません。
明治元年に生まれ、日清・日露戦争に従軍し、満洲やシベリアで諜報活動に従事した陸軍将校の手記四部作。新発見史料と共に新たな装いで復活。
(一) 西南戦争・日清戦争
故郷熊本で西南戦争に遭遇した後、陸軍士官学校に入り、日清戦争に従軍するまでを綴る。未公開だった手記『思い出の記(抄)』及び小説『木苺の花』を併せて収録する。
(二) 義和団事件
明治三十二年、諜報活動に従事すべく、ロシアの進出著しい満洲に入った石光陸軍大尉。そこは、中国人、ロシア人、韓国人、コサック、そして日本人など多彩な民族の坩堝であり、日本人娼婦を妻とする中国人馬賊が疾駆する大地だった。未公開手記『得体の知らぬ日本人』『因果物語ほか』等を収録。
(三) 日露戦争/長編小説・曹長の妻
日露開戦。陸軍少佐となった石光は第二軍司令部付副官として出征する。終戦後も大陸への夢醒めず、幾度かの事業失敗を経て、ついに海賊稼業へ。やがて明治という時代は終焉を迎える……。
新編刊行に際し、未公開の手記『思い出の記 放浪生活時代』、短編小説『惨劇の夜の思い出』や秘蔵写真多数、そして電子版のみ、著者唯一の長編小説『曹長の妻』を収録。
(四) ロシア革命
世田谷で三等郵便局長を務めていた石光元陸軍少佐は「大地の夢」さめがたく、再び大陸に赴き満蒙貿易公司を設立する。そしてロシア革命が勃発、密命を受けた石光はアムールへと赴く。一方日本軍は革命に干渉し、シベリアに出兵する。時代を裏側からささえていた一軍人の手記、完結。 -
政治的リアリズムの立場から戦後の経済重視・軽武装路線を「吉田ドクトリン」と定義づけ、軍事的リアリストへの批判を展開した『現代と戦略』第一部「現代と戦略」と、山本五十六の真珠湾奇襲、レーニンの革命とヒトラーの戦争など、〈愚行の葬列〉である戦史に「失敗の教訓」を探った『現代と戦略』第二部「歴史と戦略」の合本。岡崎久彦による反論、永井・岡崎対論「何が戦略的リアリズムか」、自作解説インタビューを併録。〈解説〉中本義彦
【目次】
◎現代と戦略
(Ⅰ 防衛論争の座標軸/Ⅱ 安全保障と国民経済――吉田ドクトリンは永遠なり/Ⅲ ソ連の脅威――軍事バランスという共同幻想/Ⅳ 有 事――日米運命共同体の幻想がくずれるとき/Ⅴ 戦略的思考――死こそ赤への近道/Ⅵ 摩擦と危機管理)
◎歴史と戦略
(戦略論入門――フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』を中心として/Ⅰ 奇 襲――「真珠湾」の意味するもの/Ⅱ 抑止と挑発――核脅威下の悪夢/Ⅲ 情報とタイミング――殺すより、騙すがよい/Ⅳ 戦争と革命――レーニンとヒトラー/Ⅴ 攻勢と防御――乃木将軍は愚将か/Ⅵ 目的と手段――戦史は「愚行の葬列」)
◎付録
(永井陽之助氏への〝反論〟〔岡崎久彦〕/対論・何が戦略的リアリズムか〔永井陽之助×岡崎久彦〕/インタビュー『現代と戦略』とクラウゼヴィッツ)
◎解説(誤解を避けるために/人間学としての戦略研究〔中本義彦〕) -
「若い医者と軍人の結合体にとって、詩と死はただの同音ではなかった」(谷川雁)
医師で詩人の著者は臨時召集を受け、軍医少尉として出征。北ビルマの最前線ミイトキーナでは、司令官・水上源蔵少将に対し死守が命じられるが、少将は残存将兵への転身命令を発したのち自決。部隊は全滅を免れるも、その後は「中国の雲南からビルマをよぎって、タイのチェンマイまでの泥まみれの敗退」となった……。
壮絶を極めた南方戦線から奇跡的に生還した著者は、その記憶を書き残す決意を固めるには四半世紀の時間を要したと述懐している。一九六九年夏に西日本新聞に連載した「月白の道」は、2000キロの敗走を綴った戦場の記録である。
第一篇には、「私たちはおたがいに心の虫歯をもっていたほうがよい。…でないと、忘却というあの便利な力をかりて、微温的なその日ぐらしのなかに、ともすれば安住してしまうのだ」とある。声高に叫ぶのではなく感情を抑えたさざ波のような断章が連なり、野呂邦暢や川崎洋らが賞賛する詩的な香りの漂う孤高の戦記文学となった。
都合三度刊行された『月白の道』の「序」「あとがき」に加え、二度目の刊行時に書き加えられた後日譚とも言うべき「南の細道」、文藝春秋に寄稿した「軍神を返上した水上少将」、および、私家版『定本 丸山豊全散文集』から戦争・戦友に関する一〇篇を収録した、戦争散文の集大成。
さらに、谷川雁の追悼文、野呂邦暢、川崎洋、森崎和江のエッセイ、映像制作者・木村栄文の「『月白の道』に寄せて」を収録。
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