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『哲学、サブカルチャー、その他(レーベルなし)(実用、文芸・小説)』の電子書籍一覧

1 ~10件目/全10件

  • クィア・シネマという「可能性の地平」に向かって−−−−−−

    ジェンダーやセクシュアリティ、人種に対する規範や制度を問い直し、家族主義や都会主義に抗い、直線的な時間に逆らって歴史を書き直す、気鋭の研究者が照らし出すクィア・シネマの重層性

    アルフレッド・ヒッチコック、オードリー・ヘプバーン、ジュディ・ガーランド、グザヴィエ・ドラン、セリーヌ・シアマ、田中絹代、三池崇史、美輪明宏、原節子、高倉健……作家、スター、作品のみならず観客やコミュニティを縦横に論じる「雑種」で「不純」な映画論

    ジェンダーやセクシュアリティ、人種、コミュニティの規範や理想を強化し、教え込む教育的な役割も担ってきたシネマ(映画)。そこで生まれた「常識」や「当然」を疑うことによって、慣れ親しんできたアイデンティティやカテゴリーを問い直し、「異なる」欲望や「非規範」的な関係の可能性へと導くものこそがクィア・シネマである。直線的な時間に抗い歴史を書き直すその試みは、現在や現状を肯定することなく、可能性として存在し続ける「地平」だと言える。

    4部構成による本書は、常識や当然に抗うクィア・シネマの「雑種」で「不純」なあり方を体現する。クィア・シネマの歴史や横断性、クィアの理論と歴史を俯瞰する第1部。ジュディ・ガーランドといった黄金期ハリウッドのスターから、グザヴィエ・ドランやセリーヌ・シアマといった近年の注目監督まで、アメリカおよびフランスのスターや映画作家、映画作品のわたしたちが知っているあり方とは「別」のあり方を提示する第2部。美輪明宏や原節子、高倉健といった映画スターたちと、そのファンやファンたちのコミュニティを取り上げ、雑種性が強く表れた日本映画を扱う第3部。そして、1970年代のフェミニスト映画運動や日本で開催されるクィア・LGTB映画祭を深く掘り下げ、映画とコミュニティの関係を地域性を絡めつつ論じる第4部が最後を飾る。作家論やスター論、作品論のみならず、観客論やコミュニティ論も入り混じり、クィア・シネマの射影の広さが感じられる構成になっている。

    編著や共著、雑誌などでクィア・シネマの可能性を日本に紹介してきた気鋭の映画研究者による待望の単著デビュー作。
  • “みんな”でいたくない“みんな”のために

    「LGBT」に分類して整理したら、終わりじゃない。
    「わからない」と「わかる」、「マイノリティ」と「マジョリティ」を
    行き来しながら対話する、繊細で痛快なクィアの本。
    ときに反抗的で、しなやかな態度は明日への希望に――。

    性、恋愛、結婚、家族、子孫、幸福、身体、未来――
    バラバラのままつながった壮大な「その他」たちが、
    すべての「普通」と「規範」を問い直す。

    「『普通』や『みんな』という言葉に己を託したり託さなかったり、託せたり託せなかったりする読者のみなさんを、風通しのよい、というよりは強風吹きすさぶ場所へと連れて行ってしまおうというのが私たちの企みです。どうぞ、遠くまで吹き飛ばされてください」(森山至貴「はじめに」より)

    「ワクワクだけでも足りません。ヒヤヒヤするかもしれませんし、何か責められたような気分でイライラしたり、何様だコイツ、という思いでムカムカするかもしれません。逆に、全然言い足りてないぞ、と思うこともあるかもしれません。そのくらいのほうが普通じゃないかと思います。そのくらいでないと、私たちも語った甲斐がありません」(能町みね子「おわりに」より)
  • 氷河期到来説、匿名の賛否、トロッコ問題、反日レッテル……
    あなたの憑きもの、クリティカルシンキングで落とせます。

    クリティカルシンキングは、正しくぶれるための技術

    〝ぶれない〟って言葉がいつのまにか美徳として使われるようになったことに違和感をおぼえます。自分はぶれない、と威張ってる人間は、自分は絶対に正しいと信じているわけです。その信念が偏見や誤解にすぎなかったら、とは考えないんですかね。極度のナルシストなんですかね。
     本当に知的なひと――少なくとも知的であろうと努力してるひとは、自分が間違っている可能性をつねに認めてます。正しい方向へぶれることを厭わない勇気も知性のうちです。知的レベルの低さを野蛮な精神力でごまかそうとしないように。
    (「パオロ流クリティカルシンキング論」より)
  • 妖怪マンガで有名な水木しげるだが、これは水木作品のほんの一側面にしかすぎない。水木マンガの真髄は、本質をえぐる鋭い人間観察と、時には非情なほどシビアなリアリズムにある。小学4年生以来、半世紀にわたって水木マンガを愛読する著者が、マンガ的なおかしみに包まれつつも、マンガの枠を超えて哲学的な域にさえ達している水木作品の名言・箴言を、厳選しお届けする。大人になったからこそわかる、刺さるセリフがある。
  • 日本を見れば、世界がわかる。
    『君の名は。』『この世界の片隅に』『聲の形』、そして『夜明け告げるルーのうた』……。
    2016年から2017年の日本の長編アニメを、世界のアニメーションの文脈から読み解くと、アニメーションの(そして私たちの人間の)分岐点が見えてくる。
    いま、アニメーションの何が私たちの心を掻き立てるのだろうか?

    世界のアニメーションを知り尽くした気鋭の論客・土居伸彰が放つ、現代アニメーションの見方をアップデートする、まったく新しいアニメーション入門!

    空洞化したアニメーションは、
    埋められるためのなにかを待っている。
    まだ見ぬ未知の、名前も知らないなにかを。

    2010年代、ディズニーはアップデートされた?
    新海誠はセカイ系ではなかった?
    アニメーションの「伝統」は消えた?
    アニメーション表現は空洞化している?
    CGアニメーションは私たちを「ゾンビ化」する?
    『君の名は。』『この世界の片隅に』『聲の形』の3本は、なぜすごい?
    『夜明け告げるルーのうた』のフラッシュ・アニメーションは何が新しい?

    21世紀のアニメーション表現の変化は、
    私たちのあり方や、人間のあり方、世界との関わり方の変化である。
    アニメーションはいかに俊敏に、繊細に、そして強力に、「私たち」を映し出しているのか。

    現在進行形のアニメーションの性質の変容を分解し、いま起こりつつある変化をとらえ、旧態依然としたアニメーション史のアップデートを図る、挑戦的かつ画期的な入門書の登場。
    この1冊で、21世紀のアニメーションの見方がわかる/見方がかわる!

    これまで見えてこなかった、あたらしいアニメーションの地平が、この本の向こう側に見えてくる──。
  • 映画、ゲーム、アニメ、PV、アート、CG、マンガ……
    本書が初の著書となる石岡良治がその博覧強記ぶりを存分に発揮し、ハイカルチャー/ポップカルチャーの枠組みを超えて視覚文化を語る!

    写真や映画の発明とともに大きく変貌した近代から、デジタル画像や動画に至るまで様々な「視覚イメージの記録可能性」が増大し続けている。制作や操作も身近になって、視覚文化そのものが大きな変貌を遂げている。本書は、ありえないほど情報過多な現代の状況を踏まえ、個別領域の知の体系的な密度より、時代と対象領域の広がりと歴史性を重視し、分野間の横断性を強く意識した構成となっている。消費社会における様々な「カルチャー」としての視覚文化を分析することを目指すため「視覚文化」をあえて輪郭を曖昧にすることで考察しようとする。

    現代の視覚文化を捉えるには、複数の速度、複数の歴史を「アクセルとブレーキ」ではなく「ギアチェンジ」していくモデルが求められるのではないか、と石岡は言う。わたしたちは消費ではないかたちで視覚文化とつき合うことは可能だろうか。文化のめまぐるしい速度変化にどのように対応すればよいのか?

    動画以降の世紀を生きるための、ポピュラー文化のタイム・トラベル。石岡の圧倒的な知識を支える巻末の参考文献リストも圧巻!

    「文化の民主化」が徹底されつつある今、まさに必読の書が現れた。
    ── 國分功一郎(巻末特別対談より)

    伝説の男が、「日本最強の自宅警備員」と呼ばれるあの男がついにその重い腰を上げた……!
    本書をもって世界は知ることになるだろう、本物の知性と本物の情熱の存在を。そして、石岡良治氏だけが両者をあわせもつことを。
    ── 宇野常寛

    万事に賛否両方の論を用意して丁寧に論じていく、多分著者の身についたバランス感覚で、知らない人間を置き去りに自分の好みばかりに熱中して語る「サブカル」論者に通有の一人よがりとは無縁。さわやかだ。
    ── 高山宏
  • 多年、聖地巡礼を実践してきた内田樹と釈徹宗が、3名の碩学と争った聖地論争。
    脳科学、歴史学、宗教人類学の視点から「日本人と聖地」の関係性を探る!
    ◎内容
    第I部 VS茂木健一郎
    「日本人における聖地とは?」
    第II部 VS高島幸次
    「大阪の霊的復興」
    第III部 VS植島啓司
    「日本の聖地の痕跡」
  • きっとあなたも持っていたはず!

    バブル期の日本には「ファンシー」があふれていた……。
    当時観光地やスキー場などで大量に販売されていた、ある種の独特なお土産たち。

    それらを「ファンシー絵みやげ」と命名して保護活動に勤しむ山下メロ院長が、
    ダサかわいいアイテム群の魅力と文化的意義を解説。

    誕生から発展、衰退の歴史、数万点もの多様性を生んだ時代背景などを、
    貴重な600点以上のカラー写真と共に読み解いていく!
  • 14歳の頃に訪れる「常識の崩壊」。
    それを乗り越えるとき、哲学が始まる――

    200年先の未来を考えるための教科書

    永劫回帰
    我思う、ゆえに我あり
    経験する機械
    モノ自体
    真理とは全体である
    死にいたる病
    実存は本質に先立つ
    世界に隠された構造
    言語ゲーム
    脱構築
    記号消費社会
    「暇」の哲学

    本書に登場する哲学者たち――ニーチェ、デカルト、ヒューム、カント、ヘーゲル、キルケゴール、サルトル、レヴィ=ストロース、ウィトゲンシュタイン、デリダ、ボードリヤール

    どんな偉大な哲学者も14歳の子どもと同レベルである! だが、その極端で幼稚な発想が新しい世界観を創造した。常識を覆す著者入魂の書!
  • 正しく考えるためのツールで世界をサバイバル!!
    思考実験とは何か? その概念から学び、直感的思考の欠陥を突き止めていく――スリリングなロジカルシンキング。

    5億年ボタン
    シュレーディンガーの猫
    人間転送機
    量子不死
    量子自殺……etc

    好評ロングセラー「論理パラドクス」シリーズの著者が挑む新たなる知的冒険!

    「まえがき」より
     思考実験は、簡略な状況設定を使ったフィクションによって行なわれる。ただし、楽しむためのフィクションではなく、考えるためのフィクションだ。「こんな状況では、何をするのが正しいだろうか?」「2通りのうちどちらの選択が得だろうか?」「主人公は、それを〈知っている〉と言えるのか?」「矛盾した2つの判断が成り立ちそうだが、本当は両立するのか、それともどちらかが間違いなのか?」……
     私たちが抱いている倫理観や、存在や真理についての前提を問い直すのに適した状況を、頭の中で設定し、いろいろなシナリオを描くのが、思考実験である。現実に成立させることが物理的に不可能であったり、倫理的に許されなかったりする状況設定も、思考実験であれこれ試すことができる。

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