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『思想、宇野邦一(実用、文芸・小説)』の電子書籍一覧

1 ~12件目/全12件

  • 「非有機的生」とは何か?
    言うまでもなく、人間も含めた生物は有機体であり、その本質は「有機性」にある。しかし、人間がすべて有機性によって説明されるのかといえば、決してそんなことはない。
    例えば、自然の中には有機性をそなえた生物もいれば、有機性をもたない鉱物もある。しかし、人間が自然の中にあるものを加工し、改変を加えてみずからの有機的生のために利用するとき、それらの対象は総体として非有機的な「自然」として捉えられている。その結果、その「自然」の一部である人間もまた非有機的なものとして捉え返され、政治はそのような対象としての人間を操作し、駆動していくだろう。ここにあるのは「生政治」と呼ばれる問題にほかならない。
    このように単純な二項対立としては捉えられない有機性と非有機性は、技術や政治のみならず、思想や文学、芸術など、どこにでも見出される。目次を見れば明らかなように、本書をなす各章で扱われる対象は実に多様である。そこには、西洋/東洋、精神/身体、概念/図像、制作/生成、樹木/リゾーム、自我/魂、戦争(war)/闘争(combat)、権力/力、超越性/内在性、二元論/一元論、物質/理念、実体化/非実体化といった幾多の二項対立が広がっているが、それらはすべて有機的生/非有機的生という二項対立と交錯し、重なり、ずれながら、一つの巨大な問題系を照らし出していく。
    これまで身体、知覚、イメージといった問題を中心にして哲学や思想を、歴史や政治を、そして文学や芸術を多彩に、細やかに、そして大胆に論じてきた著者は、みずからの思索の全体を「非有機的生」という言葉を携えて俯瞰し、整理し、編み直してみせる。本書は、長年にわたる執筆活動を経てきた著者の集大成にほかならない。

    [本書の内容]
    見取り図──なぜ非有機性か

    序 章 (非)有機性についての混乱を招きかねない註釈

    第I部 総 論
    第一章 東洋、生成、図像
    第二章 芸術と器官なき身体
    第三章 人間あるいはシンギュラリティ

    第II部 各 論
    第一章 倒錯者のエチカ
    第二章 ブランショの革命
    第三章 知覚、イメージ、砂漠――仮説的断章
    第四章 顔と映画
    第五章 映画の彼方、イメージ空間
    第六章 時間の〈外〉とタナトス
    第七章 反〈生政治学〉的考察
    第八章 知覚されえないが、知覚されるしかないもの

    終 章 問いの間隙と分岐
  • 没後20年を過ぎた今も世界中で多くの読者を獲得し続けている哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-95年)。初の単著『経験論と主体性』(1953年)から『ニーチェと哲学』(1962年)、『カントの批判哲学』(1963年)を経て『ベルクソニスム』(1966年)に至る哲学者のモノグラフィーを発表したドゥルーズは、続いて『差異と反復』(1968年)と『意味の論理学』(1969年)を解き放ち、世界に衝撃を与えた。進化を続ける哲学者は、次に精神分析家フェリックス・ガタリ(1930-92年)との協働を始動させ、『アンチ・オイディプス』(1972年)と『千のプラトー』(1980年)という恐るべき著作を完成させる。その後、記念碑的な映画の哲学『シネマ』全2冊(1983年、85年)、ライプニッツ論『襞』(1988年)といった単著の執筆に戻ったドゥルーズは、最後にもう一度、ガタリとの共著『哲学とは何か』(1991年)を発表。そして、1995年11月4日、みずから命を絶った。
    本書は、1976年から83年――『千のプラトー』から『シネマ』へと至る時期にドゥルーズ本人の薫陶を受け、その指導の下で博士論文を書いた著者が、主要著作の読解を通して師の歩んだ道のりをたどり直し、初めて1冊にまとめたものである。2001年に講談社選書メチエとして出された原著は、20世紀最大の哲学者の全容に触れたい人の「最初の一冊」として広く親しまれてきたが、このたび、大幅な加筆・訂正を経た決定版をお送りする。
    ひたすら愚直に、そして誠実に主要著作を読み解いていった約20年前の作業を現在のまなざしで見直した著者は、「いまはドゥルーズについて書くべきことを書き終えなければ、と思う。量ではなく、質の問題、いやまさに強度の問題である」と書いている。こうして生まれ変わった本書は、今後も新たな輝きを放ち続けるだろう。

    [本書の内容]
    この本にいたるまで――学術文庫版に寄せて
    プロローグ――異人としてのドゥルーズ
    第一章 ある哲学の始まり――『差異と反復』以前
    第二章 世紀はドゥルーズ的なものへ――『差異と反復』の誕生
    第三章 欲望の哲学――『アンチ・オイディプス』の世界
    第四章 微粒子の哲学――『千のプラトー』を読み解く
    第五章 映画としての世界――イマージュの記号論
    第六章 哲学の完成
    エピローグ――喜びの哲学
    文献一覧
    あとがき
    学術文庫版あとがき
    ジル・ドゥルーズの生涯と主要著作
  • メキシコのタラウマラ族と出会い、ペヨトルの儀式に参加したアルトーがその衝撃を刻印したテクスト群を集成、「器官なき身体」への覚醒をよびさまし、世界への新たな闘いを告げる奇跡的な名著。
  • ドゥルーズが美術を論じた唯一の書にして80年代で最も重要な著作のひとつが新訳で復活。「器官なき身体」の画家としてのベーコンとともに新たな哲学をつくりあげる名著
    ※電子書籍版には絵画の写真は収録されておりません。
  • 1,100(税込)
    著:
    宇野邦一
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    「証言」の真偽という問題は、今も世間の感情を刺激し、「歴史」をめぐる激しい闘争を生み出し続けている。誰一人として歴史から逃れることができない人間が、歴史の支配から自由になることはできるのか。数々の著作を送り出してきた著者が、哲学、文学、映画、精神分析、民俗学など、多彩な分野を縦横無尽に駆け抜けながら、繊細かつ大胆に思考する。今こそ読まれるべき名著が、書き下ろしの新稿を加えて、学術文庫に登場。
  • マグマのような苛烈な文体によって、唯物論哲学を大胆に書き変えた名著の新訳。※本電子書籍は、「アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症 上・下」の合本版です。
  • 無意職論、欲望論、精神病理論、身体論、家族論、国家論、世界史論、資本論、貨幣論、記号論、芸術論、権力論…のすべてであるとともに厳密な哲学の書でもある奇跡的な著作の新訳。「器官なき身体」とともにあらゆる領域を横断しつつ、破壊と生産をうたう「分裂分析」は、来たるべき思考と実践の指標であり続けている。
  • マグマのような苛烈な文体によって、唯物論哲学を大胆に書き変えた名著の新訳。精神分析批判から資本主義と国家への根底的な批判へ向かい、そのための「分裂分析」をうち立てた革命的な思考はいまこそ「再発見」されなければならない。欲望機械/器官なき身体とともに、最も危険でカオティックな思考の実験がはじまる。
  • ドゥルーズとガタリによる最大の挑戦にして未だ読み解かれることのない比類なき名著。かつてない国家、戦争、技術、資本への問いから、平滑空間/条里空間の考察を経て非有機的生に向かう壮大な歴史哲学。※本電子書籍は、「千のプラトー 資本主義と分裂症 上・中・下」の合本版です。
  • ドゥルーズとガタリによる最大の挑戦にして未だ読み解かれることない比類なき名著。リゾーム、アレンジメント、抽象機械、リトルネロ、戦争機械など新たな概念を創造しつつ、大地と宇宙をつらぬいて生を解き放つ多様体の思考。器官なき身体/存立平面から“機械圏”へ―来たるべき民衆のための巨大な震源。
  • 遊牧民が発明した「戦争機械」は国家の外部にあり、国家をたえず危機に陥れる。「国家装置」はそれを捕獲し、労働を発明し、やがて資本主義の公理系と結び合う。しかし戦争機械とマイノリティの革命的な生成変化がやむことはない。かつてない国家、戦争、技術、資本への問いから、平滑空間/条里空間の考察を経て非有機的生に向かう壮大な歴史哲学。
  • かつてないスタイルで思考の極限を実験し、様々な領野のラディカルな創造を触発してきた驚異の書。中巻では、脱領土化、逃走線、そして生成変化という本書の核心的概念をベースに、顔貌性、秘密、ミクロ政治学、マイナー性などを論じ、あらゆる出来事を連結する存立平面を定義しつつ、宇宙的な力と民衆に開かれるリトルネロ音楽を讃える。

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