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『女性向け、猫十字社(マンガ(漫画))』の電子書籍一覧

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  • 前巻のご紹介で、この作品は文章でご案内することが不可能であると、書いています。文章を連ねるほど、シュールで、けた外れの作品世界を損ねてしまう気がするからです。
    この破天荒な作品が登場した時代、日本はバブルの絶頂を迎えていました。
    バブル経済を懐かしがる方もいらっしゃいますが、一方でこの狂乱の時代はかけがえのない価値を取り返しのつかない形で破壊し、多くの人々がその潮流とともに自分を見失っていきました。
    しかし、「県立御陀仏高校」の視点は、あくまでも漫画表現を創造的に読者に届ける、というプロのこだわりに貫かれています。
    描かれる世界がいかに破天荒で、シュールであっても、漫画を愛する人の感覚の「普遍」に著者は語り掛けています。
    猫十字社氏は時代に全身体でぶつかりながらも、必死にそれを突き抜けようとしたと感じられます。
    本作において、ギャグ作品の構成に新たな深化を示した猫十字社氏は、この後、分野を横断してファンタジー作品の傑作「幻獣の國物語」(クィーンズセレクション所収)を執筆します。改めて、著者の苦闘に沿い、「お茶会」→「黒もん」、→「御陀仏」と読み進んで頂くと、傑作ファンタジー「幻獣の國物語」の世界も新たな色彩が加わるかと思います。
    本作の巻末にはそれぞれ「業猫」という作品が収録されています。
    時代と対峙した猫十字社氏の真摯な生き方が垣間見られると同時に、この後に続くファンタジー作品の孤高の輝きを生み出した背景を読み取れます。
  • 1984年に時代を先駆したギャグ作品『黒のもんもん組』の連載終結後、猫十字社氏は舞台を『プチフラワー』(小学館)に移して、この作品の連載を開始しました。
    『プチフラワー』は、竹宮惠子氏の「風と木の詩」、萩尾望都氏の「メッシュ」などをはじめとして、のちに長く語り継がれる作品を掲載し続けた、少女漫画の最先端の雑誌でした。
    この最先端の舞台で、猫十字社氏のギャグ作品はさらに豊かな広がりを見せます。
    この作品は、前作「黒のもんもん組」の延長線上に位置づけられており、また、確かにその過剰なまでのエネルギーの迸りは、前作に連なるものが感じられます。
    しかし、キャラクターと作者の距離感が微妙に変化しています。
    「黒のもんもん組」に登場するキャラクターは身近な人物を作者の圧倒的な才能で容赦なく(否定的な意味ではありません)デフォルメして動かしているのですが、本作に登場する人物は、キャラクター設定に一定度の設計意図が感じられます。
    キャラクターを勢いで動かすのではなく、作品世界の構築を前提として、キャラクターを位置づける意図が感じられます。
    そのため、本作は「黒のもんもん組」に比べ、ある意味で分かりやすく、より一般的な広がりを持った作品に仕上がっています。
    本作は、この意味で少女画ギャグ作品の優れた代表として位置づけられているのです。
  • 「県立御陀仏高校」の校長は重要文化財の大仏で、チョーク投げの奥義を極め、一日の終わりには金パックを忘れない。
    教頭は十一面観音で、数学の教師は阿修羅。
    英語の教師はイエスで、校務員は実直な仮面の下に「なにか」を秘めている通称「毛皮のモーリン」。
    そして生徒は「家事百房」という家庭科の究極の修練を修めたモモちゃんと、馬をペットにしているたっつぁん、そして脈絡なく現れたゴル子さん……、キャラクターをただ並べているだけで、何が何だか分からなくなる本作は、まさに、少女漫画界に異彩を放つ、不滅のシュールなギャグ漫画です。
    ここまで言葉を連ねてこの作品をご紹介しようと努力していますが、全く報われません。
    言葉の連なりを嘲笑うかのように、猛烈なスピードと、爆笑の連続でこの作品は飛び去って行きます。
    また、もう一度読み返していただくと、細部にも見逃せない過剰なおかしさが満ちています。
    登場している戦車のごっつさや、武器やバイクの細部の描き方も半端ではありませんし、セリフも爆発しています……例えば、キャラ同志の対決シーンに…「地道な福袋と一獲千金の福引とでは『資本論』発表後も歩み寄ることはなかった」などというセリフが当たり前のようにさらっと書かれています。この作品のご紹介文は、文ではご紹介できない、という結論に至ります。
    まさに漫画ならではのシュールな傑作です。
  • クイーンズセレクション『小さなお茶会 第4巻』のご紹介でも触れましたが、『黒のもんもん組』執筆当時の猫十字社氏は、苛烈なスケジュールに追われていて、その創作活動は、想像を超える集中力が求められていました。
    例えば、『黒のもんもん組』の一回分の作品は、着想から絵の完成まで3日程度の余裕しかなく、猫十字社氏はもちろん、本編にも出てきますが、編集担当者も大げさでなく、「殺気」だっていました。
    しかし、この状況でも猫十字社氏はさまざまな常識を超えたキャラクターを捻出しています。
    今回主に登場するキリストとゴーダマはその典型です。
    まさに、神も仏も、キャラクター化していきます。
    ただ、面白いことに、多くのファンの皆さんが、それぞれ好きなキャラクターは何か、と問われた際、その答えは極めてマチマチである、という事実です。
    猛烈なエネルギーで次々に生み出されていったキャラクターたちは、それぞれの時期の読者の皆さんに、まさにそれぞれに一期一会の出会いがあったことなのだと思います。
    この巻には、猫十字社氏のデビュー作であるとともに、当時、白泉社が社を上げて設立した新人漫画賞であるアテナ大賞受賞作の「天使の一日」が掲載されています。
    この作品を一読すると、異彩を放つ天才が、まさにすい星のように出現した当時の驚きを想像することができます。
  • 1978年から1984年という、バブル経済を前にして、さまざまな分野でさまざまな表現活動が急激な勢いで加熱していった時代。
    サブカルチャーという、文化表現に新しい局面が花開いた時代。
    この時代を先駆的に駆け抜けてきた『黒のもんもん組』は、文化がバブルによって沸点に達してしまう寸前に最終回を迎えます。
    漫画文化の一種の到達点でもある沸点に達するまでの創作活動は、命がけを強いられます。
    『黒のもんもん組』で猫十字社氏は命を削りながら「笑い」を創出してきましたが、その原点は「本質」との対峙であり、「本質」との絡み合いでした。
    第3巻のあとがきを読むと、「一瞬の光やシクラメンの鉢や母のしぐさや表情や、とても繊細に編み込まれた様々な条件が重なって化学反応なんかもあったりして、あの幸せな大爆笑」になった、という美しい文章があります。
    「笑い」の本質に迫る鋭い洞察です。
    この奇跡のような一瞬を猫十字社氏は求め続けてきたのだと思います。
    また、このあとがきには、漫画のデッサンに対する、卓越した意見が書かれています。
    『黒のもんもん組』の底知れぬエネルギーは、このような「本質」への懸命な肉迫によって結実した作品でした。
    しかし、猫十字社氏の挑戦はまだまだ続きます。
    『黒のもんもん組』終結に引き続き、この挑戦は『県立御陀仏高校』という連載作品にバトンが手渡されます。
  • 第一ページ目から突然に「しゃかしゃかしゃか」という擬音とともに、登場人物たちが意味なく駆け巡り(ゴキブリの走りをまねているそうです)、それを受けて「きりすとっ」という書き文字とともに人物が飛び上がります。
    さらにはコマの枠線を交差しながら人物たちが舞い始める……この圧倒的な展開で『黒のもんもん組』が幕を開けます。
    現代の私たちにとっても衝撃的な、このとてつもないセンスがなぜ生まれたのかを考えると、初出時の社会状況を参照したくなります。
    かつて日本は社会全体で一つの大きな価値観を共有していました。
    すべての人が等しく豊かになれる、という考え方で、背景には高度経済成長という日本社会の経済的発展がありました。
    しかし、進歩という光は多くの陰を生み出しました。
    様々な公害が発生するなど、この価値観はきしみ始めます。
    そして、この画一的な価値観の呪縛から解き放たれながら新しい表現が登場し始めました。
    少女漫画もこの時代に内容を深化させるとともに、多彩な表現が花開きます。
    これを牽引したのは萩尾望都、竹宮惠子、山岸凉子、大島弓子といった作家たちですが、ショートストーリーでは猫十字社の存在が光ります。
    本編が幕を上げる1978年は変化の時代の始まりにすぎません。
    時代の流れは加速度を加え、猛烈な勢いで狂騒の度合いを強めていきます。
    『黒のもんもん組』もこの時代の流れとともに爆発的なエネルギーを噴出していきます。
  • 優れたギャグ作品は、作品が生まれた同時代のさまざまな価値観の背後にある虚妄を見据え、これをさりげなく脱臼し、ついには破壊します。
    「黒のもんもん組」のパワーが驚異的であるのは、この優れたギャグ作品にのみ備わる特質を間違いなく具備していることに加えてさらに、その量、質の密度が極めて高い点にあります。
    著者はあとがきで、(いい音楽に出会って調子がいい時には)「うまくすれば言葉やシーンの三段跳びなんかもできました」と述べていますが、これは極めて控えめな表現であり、実際にお読みいただければ明らかですが、調子の良し悪しなど関係なく、猛烈な勢いで、息つく暇もなく、まさしく一コマ一コマに強烈なギャグが満ち溢れています。
    また、驚くべきことは、ギャグのネタになる分野がほとんど無制限な点にあります。
    日常生活で出会うエピソードはもちろんのこと、当時流行した言葉、商品、広告、事件、さらにジェンダーはもちろんのこと、政治、哲学、宗教までがネタとなっています。
    例えば当時アメリカが配備し始めた中性子爆弾という核兵器は、「両性具有のつまったバクダン」にされてしまいます。
    「黒のもんもん組」のさまざまなギャグは、時代を超えて私たちの感性にも響いてきますが、執筆当時の世相、時代の背景を踏まえると、また一味違った楽しみを味あうことができます。
  • ボロボロになって、絶望の淵に立たされた時、ふと、何か底知れぬ深みに出会うことがあります。
    この深みは誰もが持っているけれど普段は気付かない(或いは、気付かないふりをしている)ものなのかもしれませんが、本書の著者・猫十字社氏は極限状況に陥り、この深みにはまり、壊れてしまいました。
    つらく悲しいどん底の状態から「こちら」との扉を失ってしまった時、親友で犬を育てる「タカちゃ」と再会し、生まれたばかりの子犬を育てることになります。
    猫十字社氏はすべてを捨て、自分が信じた人=タカちゃの言うことだけを聞いて、犬を育て、犬と暮らす日々を送ることを決意します。
    犬との日々を送るうちに、猫十字社氏は静かに、穏やかに蘇生していきます。
    本編では、そのかけがえのない日々が、飾ることなく率直に、楽しく綴られています。
    そしてお互いの心が見えた時、犬は「元気な友達の目」を輝かせ、猫十字社氏は大きなやさしさを身につけます。
    まさに絶望のどん底の体験が「愉快で味わい深い人生を送るための得難い体験へと化学変化(あとがき)」したのです。
    この本では前作に引きつづき、本書に登場するタカちゃ先生が執筆した「これを知らないと犬(ケン)づら」という、犬と暮らす際に知っておいて欲しい基礎知識、基礎資料が掲載されています。
    また、本編の舞台となった長野県飯田市、下伊那郡の風景が犬の目の視点からはどのように見えるのかを実写した写真が載っています。合わせてお楽しみください。
  • 本書の著者・猫十字社氏は、デビュー以来爆発的な創造力で少女漫画に新しい世界を切り拓いてきました。
    その作品はジャンルを縦横に横断し、多様で、すべてが今までにない圧倒的な輝きを放っていました。
    猫十字社氏はこの間、全身体で創作に没頭し、もてるすべての力を絞り出し、命がけで作品を描いてきました。
    できるだけ多くの読者に、美しい、悲しい、狂おしい、おかしい、そして輝かしい世界を届けたいと全力で疾走して22年……その結果……一時期、「壊れてしまった」のです。
    しかし「破壊され焼き尽くされて、草一本残っていない廃墟、どん底のなかで…ボロボロになった身体(あとかき)」という絶望的状況から、猫十字社氏は静かに、確かに蘇生します。
    その一つのきっかけとなったのが、本編に登場する愛犬「りる」との出会いです。
    この作品は、愛犬とともに絶望の淵から静かに甦る日々が穏やかに綴られています。
    セリフは一切の余分な修飾がそぎ落とされ、まっすぐに心に沁みとおってきます。
    本書は日常的な「ペットとの付き合い方」という視点からも豊かな情報を提供してくれますが、その底流に流れているのは、「愛、信頼」という営為のかけがえのなさに対する、強く確かな、切実な思いにあります。
    本編は、この思いの大切さを幅広くお届けしたいため、一般誌で『週刊spa!』(扶桑社)に掲載されました。
  • ここまで「小さなお茶会」にお付き合い頂き、ありがとうございました。
    前にも少し触れましたが、この作品が幕を閉じようとしていた時、社会はバブル経済に陥り、人々は大切なことを見失い、狂い始めました。
    欲望が際限なく増殖し、『小さなお茶会』が大切に綴ってきた世界の輝きは砕けていきました。
    この頃、人々の生活の安定と幸福を担保すると信じられてきた銀行のある頭取は、業務遂行のためには向こう傷を恐れるな、と檄を飛ばしています。
    収益が、法や倫理に優先され、倫理観は崩壊しました。
    この狂気の影は現代にも影を落としています。
    そして人々が絶望的な喪失感に捕らわれるとき、救いを求めて『小さなお茶会』が何度も呼び戻されてくるのかもしれません。
    『小さなお茶会』の終了後、猫十字社はメルヘンとギャグの形式にこだわることなく、さまざまなジャンルに挑戦していきました。
    『華本さんちのご兄弟』という切ないまでに清々しい青春ラブストーリー、夢というもう一つのリアルな現実を幻想的に綴った『夢売り』、一方、メルヘン世界もより洗練され、その代表作のいくつかは『泡と兎と首飾り』にまとめられています。
    そして、空前絶後の壮大なファンタジー作品『幻獣の国物語』が大ヒット作となりました。
    『小さなお茶会』が終わっても、猫十字社の多彩な世界は大きく広がっています。
    いずれも『クイーンズセレクションシリーズ』でお読みいただくことができます。
  • 猫十字社氏のメルヘン作品の多くは、動物たちが主人公になっています。
    「こっち」と「あっち」を結ぶ、純粋で特別な、きらめくような世界(=猫十字社氏のメルヘン世界)を描いていくためには、リアルな人間という姿からイノセンスな部分を抽出した、さまざまな動物たちの姿を借りなければならないからなのかもしれません。
    『ふわふわ三昧』は、動物たちを主人公にした作品でまとめた珠玉の作品集です。
    うさぎ、子猫の主人公を軸に、魚、亀、熊、駄犬といった動物たちに加え、時にはさまざまな植物たちもが、風変わりで魅力的なキャラクターとして登場してきます。
    作品内容もバラエティに富んでいます。
    少女が、目くるめくまでに大きな自然とともに一人立ちしていく姿を、かわいらしいウサギに仮託して描かれた『野うさぎ通信』(巻末に収録いたしましたが、この作品に対して、詩人の谷川俊太郎氏が素晴らしい文章を寄せていただいています)。
    同じくウサギですが、こちらは森で一人暮らしをする「うさぎ」が、日々出会う楽しいいろいろな動物たちと生活していくシーンを鮮やかに切り取った「ウサギ物語」。
    そして美しいメタファーがぎっしりちりばめられた、宝石箱のような「星の子猫たち」……と、さまざまなテーマが長編、短編といったいろいろな形式で展開されています。
    万華鏡のように多彩なきらめきを放つ猫十字社氏の動物たちをお楽しみください。
  • 「小さなお茶会」は10年近い長い期間にわたって連載されていましたので、その画風は前半と、後半とでは微妙に変化しています。
    植物たちの表現もだいぶ変わっています。
    初期の頃は、植物たちの生命力の噴出のままに、植物たちの旺盛な生命力に同化するかのように、あふれるように豊穣な絵柄で描かれていました。
    しかしやがて徐々に余剰な線がそぎ落とされていき、本質的な線描が美しいタッチで描かれるようになります。
    内容もまた、日常のふとした局面にきらりと光る光を切り取ったものから、時間とか、生とか死とか、より本質的な次元へと沈潜していきます。
    このような深化の中で作品は完成度を高め、比類ない表現に到達します。
    7巻に収めた『月の光のオルゴール』はそのような到達点の一つだと思います。
    それぞれの方が、思い思いに本編を楽しんでいただきたいと思いますが、猫十字社から伺った印象的なエピソードがあります。
    猫十字社氏の出身は長野県I市。
    数々の文化人を輩出したきわめて洗練された街です。
    この街の最先端の文化を生き抜いてこられた猫十字社の父上は、猫十字社の創作活動を一定の距離を置いて見守ってこられたのですが、本編を読まれ「お前もこういう作品を書くようになったのか」と喜ばれたそうです。
    『小さなお茶会』は漫画というジャンルを超えて、世代と時を超えて、「普遍」を獲得したのだ、と言えるのかもしれません。
  • 前巻から、巻末に比較的長いページ数のストーリー作品をつけています。
    これらの作品群は、主に「小さなお茶会」本編を『花とゆめ』本誌に連載する傍ら、不定期に発行されていた『花とゆめ』増刊号に掲載されたものになります。
    本編の『小さなお茶会』のページ数の短さは必然です。
    作者は、極度の緊張と集中力で、この短いページに豊かに世界を凝縮しています。
    ここで描かれるのは、人が生きることのいろいろな『局面』です。
    この『局面』はきらびやかな宝石のように輝いていますが、輝きだけでは描ききれないものがあります。
    掲載された『番外編』は、本編では描き切れなかった時間と、宇宙への広がりがや、心の機微や綾などがゆったりと描かれ、それぞれ心を打つ作品になっています。
    これ以上語ることは、読者の皆さん一人一人の世界に踏み込むことになるので差し控えたいと思いますが、形式のうえで着目したいのは、そのページ数です。
    通常、ストーリー漫画は16べージ、32ページ前後で構成されます。
    新人登用の漫画は、このページ数を前提に、イントロ、展開、クライマックスを割り振る、と指導されています。
    しかし、猫十字社はこの形式を軽やかに飛び越えて作品を仕立て上げます。
    猫十字社には教科書がありません。
    編集部が要請した任意のページ数の中で、創作意欲の赴くままに描き切り、独自の作品世界を構築しています。
    各巻巻末に載せた『小さなお茶会』の番外編にもご注目ください。
    短いページの本編では描き切れない、珠玉の『お話し』がゆったりと、楽しく綴られています。
  • 「小さなお茶会」が生まれた幸運は、猫十字社という一人の優れた才能が、1978年から1987年という時代に活動したという事実からも述べることができます。
    象徴的な出来事として、今では当たり前になっているコンビニの終夜営業を顧みます。
    セブンイレブンが第一号店を開店したのが1974年でした。
    そしてその後この店舗形態はあっという間に全国に広まり、1987年には、国内で3000店舗に到達しました。
    闇に閉ざされていた夜の街が、全国至る所で光にさらされ始めたのです。
    闇は光に侵食され、今までの価値観が大きく転換しました。
    様々な権威が崩れ、差別や闇の社会が明るみに出て糾弾され、女性の地位は向上し始めましたが、他方で家族という単位が崩壊をはじめ、様々な矛盾に直面するようになりました。
    非常に強力な破壊と創造の力がこの時代に噴出しました。
    そしてやがて、このエネルギーはバブル経済を招来し、狂気を生みます。
    『小さなお茶会』はこのようなエネルギーの磁場に誕生しました。
    この珠玉のメルヘンがたたえる豊かな世界は、このとめどもないエネルギーとは無関係ではありません。
    しかし、すべてが光にさらされる、という事態は、一人一人の人間を孤独に追い込むことをも意味します。
    この孤独は、現在に至るまで、より深く、より強く人々の心をとらえています。
    『小さなお茶会』はこの孤独な魂にかけがえのない癒しを提供し続けています。
  • 「小さなお茶会」は1978年から1987年の間に、『花とゆめ(白泉社)』で連載されました。
    猫十字社は同時に『Lala(白泉社)』でも『黒のモンモン組』という、こちらも時代を先取りしたギャグ作品を連載していました。
    『小さなお茶会』の作品世界は極めて精緻です。
    これをつくり上げるためには、当然、極度の集中力と、尋常でない閃きが前提となります。
    また、『黒のモンモン組』はとてもシュールなギャグ作品です。
    ギャグ作品は価値観の破壊という側面を持ち、こちらも執筆にはとてつもない破壊と創造のエネルギーを必要とします。
    『花とゆめ』は月2回刊、『Lala』は月刊でしたが、特に月の後半、20日売りの『花とゆめ』と24日の『Lala』の間には、わずか4日しかありません。
    このそれぞれに傑出した作品を『落とす(締め切りに間に合わない)』ことなく続けていけた、ということ、このことだけとってみても、『時が満ちて』エネルギーがあふれ出て、この両作品が祝福されていたことを示しています。
    今では考えられないような、締め切り時のエピソードがあります。
    全精力を使い果たした猫十字社氏は、当時住んでいたM市発の特急『あずさ号』の出発ホームに行き、原稿を人のよさそうなお客さんを物色して手渡します。
    一方、新宿駅では担当が猫十字社氏から連絡のあった人相風体のお客さんを見つけ出し、平身低頭して原稿を受領していました。
    これで、一回も事故がない、という時代でした。
    この時代がこの「小さなお茶会」という作品を生み出し、注がれたエネルギーは質、量ともに想像を絶しています。
    『時が満ちた』としか言いようがない奇跡的な爆発力が作品世界を豊かに彩ります。
  • 生きづらくてしょうがないと思っている世界をなんとか飛び越えようとして、しかも生きるということを輝かしく肯定したいときには、フィクションという表現形式が有効になるのかもしれません。
    またさらに、このフィクションの中で、「愛」という一番大切な、しかし危うい営みを、優しく描き切るためにはファンタジーという形式がとてもよく似合うのでしょう。
    「ぷりん」と「もっぷ」という猫の夫婦が紡ぎ出す世界は、ごく自然にファンタジーの形をとっています。
    しかしこれは当時の少女漫画界にとっては、あまり類例のない、先駆的な冒険でした。
    当時の雑誌に掲載されたショートストーリーは、どちらかというとストーリー漫画の間にはさまった、「箸休め」の要素が強かったように思われます。
    恋愛ストーリーなどの、深刻な、あるいは心を揺り動かす長編作品の間で、ひと時の癒しを提供する位置づけが多かったように思えます。
    しかし、猫十字社という天才は、このショートストーリーのジャンルに、確固とした作品世界を描き出しました。
    これは客観的にみると大変な冒険であり、挑戦ですが、彼女はこの冒険を危険とも思わず、ごく自然体で描き出していきました。
    「小さなお茶会」は、まさに時代を画し、時代を超える傑作ファンタジー作品として成立しています。
    そして、その作品世界は時を越えて、普遍的な輝きを放っています。
  • 「ぷりん」と「もっぷ」という猫の夫婦が紡ぎ出す世界の扉を開けていただきありがとうございます。
    この世界は、暖かさとやさしさに満ちあふれています。
    さりげないいたわりと、不思議なものごとへの驚きと、ふとしてきらめく世界の輝かしさが広がっています。
    しかし、以上のように形容詞過多な不毛の文章でご紹介するよりも、この世界の案内人には、非常に素晴らしい先達がたくさんおられます。
    「小さなお茶会」は読者のそれぞれの人、それぞれの心に多彩な光をあてていて、いろいろな深度でいろいろな世界が照らし出します。
    どうかご自身の心の赴くまま、この世界でゆっくりとくつろいでください。
    そして時には素晴らしい案内人さんたちの意見を聞き、いろいろな見方を発見してください。
    「小さなお茶会」は多彩な見方を可能にする大きさ、豊かさを包み持っており、何が正解であり、何が間違っているなどということは全くありません。
    あえて言えば、「小さなお茶会」を心ゆくまで楽しんでいただくこと、それが唯一の正解です。
  • 本書の中にも使われていますが、「時が満ちる」という言葉があります。
    「ぷりん」と「もっぷ」という猫の夫婦が紡ぎ出し、多くの人々の心を豊かに満たした不朽のメルヘン『小さなお茶会』は、いろいろな意味で「時が満ちる」ことで結晶した作品です。
    少女マンガが、少女をきらびやかに飾るための作品から、少女の、さらには人間の心の揺らぎに沿った作品へと深化していったとき、『小さなお茶会』は誕生しました。
    当時、『ぷりん』と「もっぷ」の夫婦が繰り広げる、繊細で、豊かで、優しく、温かく、そして不思議な世界に多くの人が魅了され、癒されました。
    また華麗に描きあげられた私たちの宇宙の不思議に慄かされ、驚かされました。
    この時、『小さなお茶会』は少女マンガの到達点という、「時を満たした」作品として誕生し、少女マンガの枠を軽やかに超える普遍的な感動を与えてくれました。
    そして今、再びこの作品の時が満ちてきました。
    私たちはとても生きにくい時代にいます。
    どこか窮屈で、孤独で、ともすれば自分自身の時を失いがちです。
    そんな索漠とした思いを抱くとき、再びこの作品の輝きが、私たちにおりてきて、豊かに私たちを照らしなおしてくれます。
    懐かしく、温かく、時にはぞっとするように……。
    初めての方も、再読の方も、「ぷりんともっぷ」の世界の扉を開けれてください。不朽のメルヘンだけが持つ至高の世界が待っています。
  • 悪い夢を、よい夢と交換する「夢売り」のお話。
    超美形の夢売りは、深い苦しみや憎しみ、かなわない憧れなどの、狂おしい思いに満ちた悪い夢を集めているが…!?
    「小さなお茶会」、「幻獣の國物語」など、時代をリードする傑作コミックを発表している猫十字社が、夢をモチーフに描いた異色の幻想作品集。
    しかし、夢は、とてつもなく長い過去の死者の記憶に連なり、生きることと死ぬことのはざまに私達を誘い、私達を翻弄する。
    収録作品の「夢売り」は、狂ってしまった時間の流れに、まがまがしい過去の記憶が交錯し、破滅の予感を漂わせる。
    猫十字社の卓越したコマ割りで、現実と夢、現在と過去が美しく、不吉に交響する。
    「竜紋の池」も夢がモチーフ。
    現在と過去の時間が、ページを追うごとにスリリングに交錯していく。
    その趣向は読者の想像力を軽やかに超えていき、時空を越えて、猫十字社ならではの作品世界が華麗に羽を広げる。
    「獏飼い」はユーモラスな珠玉の短編。
    夢売りが仕えているご主人の獏と、夢売りの物語。
    ゆったりと、伸びやかで、大きくおおらかな世界が広がる。
    作品集冒頭で描かれているように、満開の桜は不吉なほどに美しい。
    その美しさに魅せられていると、時の流れが狂い、生と死が交差する。
    この交差点に恐ろしい真実が宿ることを、不気味な美しさでこの幻想作品集が教えてくれる。
  • 「小さなお茶会」、「黒のもんもん組」、「幻獣の國」など、メルヘン、ギャグ、ファンタジー……と、漫画の様々なジャンルに傑作を送り続けた猫十字社が、リアルな現実を舞台に描いた伝説の青春ラブストーリー。
    華本さんご一家は、長野県松本市に住んでいる。
    一家は男ばっかりの4人兄弟と、猫一匹の母子家庭。
    長男は社会人の医者だが、次男の蝶太郎、3男の梅士、4男の桜彦はいずれも地元の国立医大の学生であり、すべて美形で、バイク乗りである。
    猫の名前はミチゾー。
    この猫もまたオスで、青春真っ盛り。
    信州の美しい自然を背景に、学生生活真っただ中の3人と一匹の、かけがえのない、苦しいほどに甘美で切ない恋物語が綴られる。華やかな紅葉が織物のように山々を彩る秋の信州を舞台に、4男・桜彦の恋が描かれた「金の鯛やき 銀の蛸やき」。
    みずみずしい新緑の季節に紡がれた2男・蝶太郎の恋を描く「な、泣きそベイビー」。
    夏の松本を舞台に、猫のミチゾーが出会った新しい世界と恋を描いた「ミチゾー、その愛」。
    降り積もる雪に夕暮れの賑わいが包みこまれた静かな街で奏でられる、3男・梅士の失われた恋を描く「ライト・マイ・ファイア」。
    そして、女の子の視点から描いた美しい間奏曲のような「間物語」と「みゃんか」のシリーズ6作完全掲載。
    傷つきやすく、壊れやすく、そしてひりひりするようなさまざまな恋。
    かけがえない、青春の切実な時が、鮮やかに切り取られる。
  • 1978年のデビュー以来、猫十字社は漫画のあらゆるジャンルに挑戦し、さまざまな表現の手法を編み出していった。
    そして結実した作品は、とてつもなく優しく、大きく、悲しく、楽しく、猫十字社ならではの独創的な世界が繰り広げられていった。
    「小さなお茶会」、「黒のもんもん組」、「幻獣の國」……長期にわたる連載作品だけをとっても、メルヘン、ギャグ、ファンタジーと多様であり、その間に書かれた作品の一つ一つも、それぞれが唯一無二の内容である。
    この作品集はこのような多彩な顔を持つ猫十字社作品の軌跡を、短編作品を中心にて編み、垣間見ていく傑作集である。
    「宝石の女」は爛熟した19世紀初頭のパリを舞台に、ノンフィクションに形を借りた耽美的な異色作。
    「日々の泡」は日常から立ち現れるさまざまな思いを、幻想的なモチーフを使い、軽やかに描き感動的に昇華した珠玉作。
    「ヴィーナスの腰かけ」はふと、自分に立ち返る時を迎えた女性の心に寄り添った恋のお話。
    そして「獅子のいる里」、「水酔放浪記」は究極のファンタジー作品。
    民間神話の伝承をヒントに、生と死の彼岸からの穏やかで限りない救いに、心地よく酔いしれる作品。
    ここでは私たちの知っている時間は停止して、夢幻に満ちた世界が出現する。
    各作品は多彩だか、そこに通底するものは、生きることの喜びと痛み。
    この切実な思いが軽やかに、楽しく、切なく描き切られている。

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