『渋沢栄一と明治期のひとびと フェア、山岡荘八(文芸・小説)』の電子書籍一覧
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祐宮(明治帝)のご降誕をあざわらうかのように浦賀に現れた黒船は、徳川260年の泰平の夢を破った。日本の国力は安易な攘夷を敢行できるほど強固ではない。それを見こして列強は激しく開国を迫る。佐幕開国か尊皇攘夷か。世論はまっぷたつに割れ、孝明帝の条約不勅許をめぐって幕府の懊悩はつのる。
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修交を迫る列強の強談は容赦がなく、志士の中には国禁を冒して海外渡航をはかる吉田松陰のような動きもみられた。もはや開国のほかに道はない。幕府はついに独断で条約締結を敢行する。当然、勤皇志士たちの反発は一段と激しさをまして、世情は混迷、騒乱の度を深めていく。未来の明治天皇はまだ幼い。
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公武合体は一応はなった。が、血なまぐさい事件は相変わらず続く。京都では寺田屋事件、関東では生麦事件! その騒然たる世相につけこんで、列強各国の開国要求はいよいよ急である。そうしたさなか将軍家茂が倒れ、つづいて孝明帝も崩御。若き睦仁親王(明治天皇)の双肩にのしかかる国家存亡の危機!
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大老井伊直弼の果断にして仮借ない政策は、世にいう“安政の大獄”の嵐となって全国に吹きあれた。将軍継嗣問題も強引に紀州慶福と定め、水戸派勢力の一掃がなされた。その反動は大きく、京洛は天誅につぐ天誅の巷と化す。この騒擾のなかを、まだ自分の運命は知らぬまま、祐宮は健やかに成長していた。
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幕末、日本近海には外国船が頻繁に出没し、徳川幕府の動揺をさそっていた。一方、貧窮のつづく禁裏では、ひとり今上の帝(孝明帝)が暗澹たる世情を憂いていられる。そうした折り、入内した中山慶子が懐妊、めでたく男子をあげた。この皇子こそ、幕末動乱のまっただ中に生を享けた明治天皇であった!
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安政の大獄で政敵を次々に屠った大老井伊直弼にも、秘かな天誅の魔手が迫っていた。桜田門外の変! ついに彼は水戸、薩摩の過激派の凶刃に斃れたのである。こうなれば幕府にはもはや、和宮降嫁にすがる公武合体の融和策しか手段がない。それは内裏佳人の犠牲という新たな悲劇の招来を意味していた……。
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