『学問、昭和史の大河を往く(毎日新聞出版)、21~30冊(実用)』の電子書籍一覧
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「もし」という視点で語るもう一つの昭和史。
もし二・二六事件が成功していたら、三国軍事同盟を結んでいなければ、真珠湾の勝利に浮かれずにいたら、など興味深い話題が満載!
<目次>
もし日本がハル・ノートを受諾していたら──本当に最後通牒だったのか
ハル・ノート──有田八郎元外相の見解
もし張作霖と日本人顧問が共に関東軍に爆殺されていたら──途中下車した町野武馬の謎の行動
張作霖爆殺事件──目的のためには手段を選ばぬ関東軍
もし宇垣一成が“変心”せずクーデターが実行されていたら
もし日本が国際連盟を脱退していなければ
もし五・一五事件の決行者が厳罰に処されていたら
もし佐野学ら共産党幹部が獄中で転向していなかったら
もし永田鉄山軍務局長が斬殺されていなかったなら
二・二六事件──もし決起部隊が皇居に入っていたら
二・二六事件──もし昭和天皇が直接鎮圧部隊を率いていたら
二・二六事件──もし「皇軍相撃」事態になっていたら
もしトラウトマン工作により日中講和が成功していたら
もし日本軍の中国での蛮行を国民が知ったなら
リュシコフ三等大将の亡命は、ソ連の偽装工作か?
ノモンハン事件での日本人捕虜帰還者に理解を示していれば
もし三国軍事同盟を結んでいなければ
もし松岡洋右が外相に起用されていなければ
「ぜいたくは敵だ」ったのか
もしルーズベルトの天皇への和平を願う親電が早く届いていたら
もし日本が真珠湾の勝利に浮かれずに対応していたら
もし日本が事前にタイに領土通過を通告していたら
もしタイが日本軍の進駐を拒否していたら
近衛文麿をスイスへ派遣せよ──吉田茂の講和作戦
もし昭和十七年の翼賛選挙で非推薦候補者が多数を占めたら -
昭和史の第一人者が説くもう一つの日本の可能性。
ミッドウェー海戦に勝利していれば、昭和天皇が終戦直後に退位していれば、日本は変わった?
<目次>
もし日本海軍がミッドウェー海戦で勝利していたら
もし米軍のガダルカナル島上陸を本格的反撃と認識していたら
山本五十六は自決したのか?
もしアッツ島守備隊が玉砕の道を選ばなかったら
絶対国防圏の欺瞞──もし知米派が作戦の中枢にいたら
海軍乙事件──もし関係者を処罰していれば
もし秩父宮の東條の参謀総長兼任批判が表面化していれば
もしサイパンの民間人に投降勧告電報が打電されていれば
もし台湾沖航空戦の「大戦果」を訂正していれば
もし栗田艦隊がレイテ湾に突入していたら
もし日本が原爆開発に成功していたら
もし「大本営発表」が真実を告げていたら
もし近衛上奏文の構想が実現していたら
もし繆斌みよんひん工作から講和が実現していたら
もし昭和天皇のバチカン和平工作が成功していたら
もしソ連を仲介とした和平交渉で日本が手玉にとられなければ
もし日本が米ソに分割占領されていれば
もし「大本営発表」の虚偽が戦後、法廷で裁かれたなら
もし日本が「自主戦犯裁判」を開いていたら
もし日本語のローマ字表記化が実行されていたら
もし二・一ゼネストが決行されていたら
もし昭和天皇が終戦後退位していたら
もし占領期政策の継続を問う国民投票を実施していたら
あとがきに代えて──あえて歴史に「もし」を持ちこんでみてわかること -
東條英機夫人、吉田茂の娘、鈴木貫太郎夫人、犬養毅の孫娘など、女性が見た宰相たちの素顔、歴史の瞬間!
<目次>
犬養毅と“ある歴史の娘”
犬養道子氏の推理──誰が犬養首相を撃てと命じたのか
テロにあった家族が肩をすくめて生きていく時代
ゾルゲ事件と犬養家──尾崎秀実の「眼」
曾祖父・犬養毅の志を継ぐ緒方貞子氏
東條夫人「あの戦争はタクだけの責任だったのでしょうか」
戦後につくられた東條擁護の構図
東條逮捕の日──カツ夫人の心中
東條の最期を巡る教誨師と遺族との齟齬
東條の息子として戦後を生きるということ
鈴木貫太郎とタカ夫人、関宿での戦後の日々
二・二六事件──タカ夫人から宮中へ伝えられた一報
首相秘書官だった長男・一氏が感じた父の覚悟
「歴史に生かされた」指導者・鈴木貫太郎とタカ夫人
“永遠の平和”を唱えて逝った鈴木貫太郎の遺志
宰相の娘であり母となった麻生和子氏
講和条約と安保条約調印の地、サンフランシスコを大磯から望む
吉田茂邸で書生をしていた陸軍省兵務局のスパイ
吉田茂逮捕の日の大磯
終戦──時代が吉田茂を必要とした
吉田茂の人生最良の日と「目黒公邸」
もし講和条約直後に国民投票を実施していれば
七年二カ月の長期政権、「吉田城」落城の日
あとがきに代えて──宰相を支えるパートナーとしての夫人と家族 -
荷風、大岡昇平、山田風太郎、大佛次郎・・・・、あの戦争が彼らを作家たらしめた。
昭和史の視点から作家の日記と作品を読み解く画期的な文学論。
<目次>
山田風太郎の『戦中派不戦日記』を読む
「戦争に負けると、ああなる」──山田風太郎と中国兵捕虜
八月十日の終戦──山田風太郎の心のなかの戦い
「十五日(水) 炎天 ○帝国ツイニ敵ニ屈ス。」
山田風太郎が終生感じた日本人へのもどかしさ
永井荷風の『断腸亭日乗』を読む
荷風が覚悟を決めた昭和十六年六月十五日
「アメリカと戦争するなんて莫迦ばかですよ」
戦時下、荷風が上野駅地下で見かけた男女
八月十五日、疎開先で知る「日米戦争突然停止」
大佛次郎が終戦直後に書いた「英霊に詫びる」
大佛の特攻への共感と荷風、志賀直哉への嫌悪感
「正直に生きていることに悔はない」
東久邇内閣の「内閣参与」として
大岡昇平のフィリピンでの戦場経験
大岡昇平が『俘虜記』で伝えたかったこと
『野火』から伝わる昭和陸軍の狂気
『レイテ戦記』執筆に至る公刊戦史の嘘への怒り
書いたのではなく、亡き戦友たちに書かされた大岡昇平
丹羽文雄が目撃した『海戦』の生と死
高見順が向きあった昭和二十年八月十七日の島木健作の死
清沢洌の怒り──「こんな戦争をやるのは誰だ」
徳富蘇峰が「自ら吾が愚に驚」いた八月十五日
伊藤整が感じた十二月八日の奇妙な静けさ
『戦艦大和の最期』──著者・吉田満の戦後
あとがきに代えて──残酷な踏み絵を作家に迫った時代 -
最大の事業仕分け、GHQによる官庁中の官庁・内務省と巨大な人員を擁する陸軍省、海軍省の解体。
だが官僚たちはしたたかだった。名とかたちを変え組織は残った。
<目次>
最後の陸相・下村定の未公開手記
陸軍省消滅と下村陸相の国会での謝罪演説
陸軍最後の日──昭和天皇と下村陸相の涙
陸軍最後の日の皇居内──侍従武官の証言
「公」のためと「私」のための自決
なぜ俺が敗戦国の軍使に──河辺虎四郎の憂鬱
敗戦は「我等軍人の罪」──自決したO大佐の真摯な反省
“官庁中の官庁”内務省解体を目指すGHQ
内務省解体とGHQ内部の確執
“責任ある政府”──ケーディスの理想と内務省解体
解体目前の内務官僚たちの心中──鈴木俊一の証言
国家警察と自治体警察──警察改革を巡る攻防
警察法改正──ゆきづまったアメリカ型警察制度
内務省終焉──真に解体すべきは悪しき官僚制度
海軍は開戦に反対していたという“神話”の誕生
最後の海相・米内光政の訓示に込められた思い
米内光政の見事な出処進退と消えた海軍の戦争責任
戦後、一切の公職に就かなかった井上成美の生き方
「三笠」艦上から海軍解体の日を思う
特攻作戦の責任と海軍将官の自決
海軍という理想郷のなかで消えた「勇断」
警察予備隊創設と旧内務官僚と旧軍人の対立
自衛隊の基礎を作った十一人の旧軍佐官クラスの任用
そして官僚機構はかたちを変え、残った
あとがきに代えて──戦前、戦後とも責任をとることのない官僚組織 -
昭和21年3月1日、相模湾、九十九里浜に米軍上陸、目標は東京。
現実に計画されていた作戦から、米ソに分断占領されるあり得たもう一つの日本を予測する。
<目次>
マッカーサーの野心とコロネット作戦
昭和二十一年三月一日、米軍関東上陸──コロネット作戦
相模湾へ上陸するアメリカ第八軍と守る日本第五十三軍
あってはならない戦い──勝算なき「関東決戦」
あの戦争の終末点──本土決戦という「敗戦のかたち」
陸に上がった連合艦隊司令部──日吉台地下壕
戦艦大和の最期と日吉台連合艦隊司令部
渡邉恒雄二等兵が相模湾で夢見た「空想」
松代大本営内の昭和天皇の「御座所」
軍が守るべきものは何か──スイスと日本の違い
終戦への道を模索する鈴木内閣と本土決戦派の確執
鈴木貫太郎の終戦への固い決意
九十九里浜を望む山中に残るトーチカ跡
本土決戦前夜、勤労動員生徒と学徒兵の証言
一九四五年八月の日米の市民たちの感情
竹槍三〇〇万本あれば日本は防衛できる?
「竹槍では間に合わぬ」──東條首相?毎日新聞
「国民総玉砕願望」としての本土決戦
米ソに分断された二つの「日本」
「大量自死の悪夢」として記憶される本土決戦
あとがきに代えて──
国民を不条理な死に追いやる史上最悪の作戦 -
世襲、二世たちが日本の進路を誤った!
近衛文麿、木戸幸一、牧野伸顕など、したたかだが脆かった昭和の華族たち。その人生と責任の取り方。
<目次>
華族たちの昭和史
かつて日本に存在した「華族」という階級
近代日本史が凝縮した学習院初等科を訪ねて
乃木、山梨勝之進、軍人出身の歴代学習院院長たち
開戦と敗戦に立ち会った二人の枢密院議長
華族の監督者、宗秩寮総裁・木戸幸一
二・二六事件と木戸の段階的華族廃止計画案
大久保利通、牧野伸顕、吉田茂の系譜
西園寺公望と近衛文麿の暗闘
日米開戦を決定づけた昭和十六年十月十二日の荻外荘会談
「天皇機関説」排撃の先陣をきった貴族院
最後の元老・西園寺公望、坐漁荘での日々
西園寺公望と日本の政治の「死」
東條英機は爵位を欲していたか
二・二六事件と牧野伸顕の決意
牧野伸顕と女婿・吉田茂の闘い
宮中を揺るがした島津治子元女官長不敬事件
赤化華族子弟の秘密組織「ザーリア」
戦時下の貴族院──講和を説く議員たち
敗戦──華族の終焉
華族は皇室の藩屏たり得たか
あとがきに代えて──華族とは何だったのか -
二〇三高地、ノモンハン、ガダルカナル・・・。精鋭ゆえに最激戦地に投入された旭川第七師団を例に、
軍中央の場当たりな作戦指導、失敗の本質をつく。
<目次>
最強師団の宿命
“軍都”旭川を訪ねて
旭川帰還が一転、ガダルカナル島へ──一木支隊壊滅
対米戦に反対した旭川出身の“空の軍神”加藤建夫
旭川“北京”構想から生まれた第七師団
二〇三高地を駆け登った第七師団兵士
旭川第七師団ゆかりの文学者たち
ある屯田兵家族の物語
シベリア出兵と第七師団
尼港事件と北樺太保障占領
海軍航空隊黎明期の至宝、赤石久吉の人生
満州事変──混成第十四旅団の激闘
日中戦争と軍のモラルの荒廃
泥沼化する日中戦争と徐州攻略戦
ノモンハン──師団の総力を投入
ノモンハン──須見部隊の死闘
ノモンハンの敗北と北部軍の創設
ミッドウェー島上陸作戦──一木支隊、悲劇への旅立ち
“餓島”と呼ばれた島──密林に消えた一木清直支隊長
アッツの玉砕とキスカの奇跡の撤収
沖縄戦で戦死した一万余の北海道出身の将兵
北海道分割を阻止した昭和二十年八月十八日、占守島の戦い
南樺太──八月十五日で終わらなかった戦争
あとがきに代えて──大本営参謀の無謀な作戦と現場の奮戦 -
昭和20年11月1日、米軍、鹿児島、宮崎3地点に上陸!
起こりえた一億総特攻に至る本土決戦計画を現地取材で検証し、
あの戦争の意味を問う。
<目次>
本土決戦幻想オリンピック作戦編
もし、あの戦争が八月十五日で終わらなかったなら
玉音放送録音盤奪取、宮中占拠計画
昭和二十年十一月一日、米軍、南九州上陸──オリンピック作戦
日本本土侵攻の戦死者数予測に震撼した連合国首脳
日本本土上陸作戦を見抜いていた情報参謀・堀栄三
志布志湾に残るトーチカ跡が伝える、起こり得た「現実」
志布志湾から鹿屋、都城へ──十一月一日上陸以降の作戦
吹上浜に立つ──第二総軍司令官・畑俊六の心中
知覧の陰に隠れた特攻基地──万世陸軍航空基地
一枚の写真が伝える少年特攻隊員たちの心情
松代大本営から発せられる本土決戦派政権からの命令
人間爆弾“桜花”という凶器
民間人にも戦闘を強要する“一億総特攻”
特攻基地から一転、鹿屋、知覧がB29の基地に
特攻を涙で美化せず、犬死と謗らず
特攻隊員を見送る知覧の人々の思い
愚劣なりし日本よ──蒼穹に散ったパイロットの詩
天皇と内閣は人質──松代大本営の真の意味
本土決戦が現実となる歴史の条件
もはや戦える状態でなかった日本軍
あとがきに代えて──オリンピック作戦からコロネット作戦へ -
動乱の時代を告げる一発の銃声、終幕に降り注ぐ数千トンの焼夷弾。
かたちを変え現在も残る「歴史の現場」に立ち、事件の背景・本質に迫る迫真のドキュメント。
<目次>
帝都を震撼させた二・二六事件
高橋是清惨殺の「現場」を目にして
二・二六事件は“義挙”ではなく“派閥抗争”に過ぎない
終始、鎮圧を主張した石原莞爾の動き
昭和天皇と“股肱の臣”鈴木貫太郎夫妻の紐帯
決起青年将校の巻きぞえになった下級兵士の苦悩
秩父宮は二・二六事件の黒幕に非ず
東京に戒厳令が布かれた日
“皇軍相撃”寸前、新統制派の暗躍
決起部隊を一転、鎮圧軍に──近衛師団の不可解な動き
処刑前の将校たち──安藤輝三は「秩父宮殿下萬歳」と叫んだのか
決起将校は銃殺され、参加兵士は生きて帰れぬ戦場へ
天誅名簿に名が記されていない男──東條英機
吉田松陰とともに回向院に眠る磯部浅一
二・二六事件とは何だったのか
東京が目撃した昭和という時代
浅沼稲次郎刺殺事件──交錯する二人の視線
シンガポール陥落、熱狂した日本人──誤解された山下奉文
“熱狂”から“追悼”へ──日比谷公会堂での戦没者追悼式
日比谷公園を設計した男──本多静六の人生
日比谷松本楼と孫文──中国革命を支援した日本人たち
反政府運動の現場となった日比谷公園
東京空襲の被害を想定していなかった軍事指導者
東京大空襲、あの戦争が人災であることを忘れるな
東京大空襲の総指揮官に、勲章を授与した日本政府
東京大空襲後、終戦の道を模索し始めた昭和天皇
原爆投下は「しょうがない」のか。史実を踏まえぬ久間発言
民間が運営する空襲を伝える施設を目にして
東京大空襲後も本土決戦を呼号した指導者の感性
あとがきに代えて──歴史に刻まれた“東京が震えた日” -
日米開戦前夜、官邸の一室で東條首相が独り泣いていた―昭和史を縦断する国会と官邸の権力闘争。
その渦中、あの東條すら打ち震えた!!渾身の取材で掘り起こした衝撃の秘話。
<目次>
国会が死んだ日
浜田国松の“ハラキリ問答”
軍部大臣現役武官制という“魔物”
陸軍の二度目のクーデター、議会解体
斎藤隆夫の“反軍演説”
斎藤隆夫を見捨てる議員たち
斎藤隆夫“除名”と政党政治の終焉
“憲政の神様”尾崎行雄の抵抗
“神様”が不敬罪に
翼賛選挙と東京初空襲
尾崎行雄の法廷闘争
首相官邸の主人たち
開戦前夜、東條首相は官邸で独り泣いていた
佐藤首相と官邸前で焼身自殺した老人の戦い
佐藤首相の政治的野心と市井の老人の諫言
五・一五事件──女性たちの証言
テロリストを英雄視してしまった時代
二・二六事件──軍靴に蹂躙された官邸と日本政治
真珠湾攻撃当日、官邸での小宴
終戦の日──鈴木首相の心情
〈戦後〉の原点──東久邇首相の発言を見直す
「直接、国民の声を」──東久邇内閣の50日
吉田と鳩山の総理の椅子を懸けた闘い
自衛隊出動寸前──岸首相と六〇年安保
国民の欲望の肥大化が生み出した“今太閤”──田中政権の終焉
あとがきにかえて──国会と官邸の一角に立ち考えたこと -
昭和史研究の第一人者が靖国問題の本質を、昭和天皇の怒りの真意を、あの戦争の意味を、渾身の取材と考察で説き起こす大反響必至の一冊。
<目次>
「靖国」という悩み(「靖国問題」の本質とは何か
「靖国」が発するメッセージ
昭和天皇の「靖国」への思い
遊就館の展示物が示す歴史観
「戦後」が完全に欠落した場所
古賀誠日本遺族会会長の「靖国」への思い
千鳥ヶ淵は国立追悼施設になり得るか
「靖国」と「千鳥ヶ淵」を結ぶ地下水脈
八月十五日の「靖国」鎮霊社の謎
慰霊・哀悼の美名の下での政治運動
謀略史と歪んだ歴史認識で説く「この国」
遊就館の歴史認識が、外部と共鳴し運動化する時
あの戦争はアジア諸国の解放のためだったのか
“富田メモ”から読み解く昭和天皇の「靖国」への怒り
問題は何一つ解決せず、また八月十五日は来る)
真靖国論―小泉史観の大いなる過ち
靖国神社とA級戦犯
<著者紹介>
保坂正康(ほさか まさやす)
ノンフィクション作家・評論家。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。
昭和史の実証的研究のため延べ四千人に聞き書き取材を行い、独力で『昭和史講座』の刊行を続ける。
二〇〇四年に第52回菊池寛賞を受賞。主な著者に『昭和陸軍の研究』『東条英機と天皇時代』『秩父宮』『昭和天皇』などがある。
・キャンペーンの内容や期間は予告なく変更する場合があります。
・コインUP表示がある場合、ご購入時に付与されるキャンペーン分のコインは期間限定コインです。詳しくはこちら
・決済時に商品の合計税抜金額に対して課税するため、作品詳細ページの表示価格と差が生じる場合がございます。